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安重根義士殉国99年…旅順監獄に行く(2)

2009.03.26 14:02
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建物の外には安義士が収監されていた部屋があった。ガイドは「安義士を国事犯に分類した日本が安義士の一挙手一投足を24時間監視するため、看守室のすぐそばに監房を配置した」と説明した。

旅順監獄で安義士が足跡を残したもう一つの現場は、最後を迎えた絞首刑室だった。「控訴せず、堂々と行動を」という母親チョ・マリアの忠告を受け、安義士は命を乞うことはしなかった。1910年3月26日午前10時。安義士の首に縄がかけられた。午前10時10分ごろ安義士はこの世を去った。天主教(カトリック教)の霊名はトーマス。年齢はわずか31歳だった。

 
安義士は「遺体をハルピン公園に埋めた後、独立したら祖国の地に埋めてほしい」という遺言を残した。しかし日本は遺体を遺族に引き渡すのを拒んだ。このため安義士の遺体は今でも冷たい旅順のどこかに埋められたまま、祖国の地に戻れずにいる。安義士が最期を迎えた場所は、その後、監獄の洗濯所に使われた。

博物館側は現在、この場所を、日本による植民支配時代に犠牲になった米国・ロシア・エジプトなど海外の抗日運動家のための展示館に改修・補修している。工事現場の関係者は「3日に着工し、6月ごろ完工する予定」と話した。中国政府はこれまで海軍基地がある旅順の軍事機密を保護するという理由で、旅順監獄を中国人にのみ開放してきた。しかし現地で会ったある中国人は「中央政府が旅順を外国人にも開放する方針を固めた。早ければ6、7月ごろ旅順全域が外国人にも完全に開放される予定だ」と伝えた。

安義士の義挙100年(10月26日)ごろには韓国人も観覧できる可能性が高い。旅順監獄から1キロほど離れた関東都督府地方院は長いあいだ病院として使われてきた建物だ。韓国の民間団体「旅順殉国先烈記念財団」が集めた寄付金で一部を買収し、安重根義士関連遺物の展示館として使われている。2階建ての建物には安義士が日本の検察官に対抗した法廷も残っている。

趙中華館長は「被告の席は東洋平和を掲げた安義士ではなく、日本の帝国主義者が立つべきところだった」と語った。展示館には日本が抗日独立運動家を拷問するときに使った電気椅子や人体破砕機など残酷な道具や装備が展示されている。


安重根義士殉国99年…旅順監獄に行く(1)

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