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【そのときの今日】朴政権、韓日国交正常化…「民族主義が死んだ」6.3デモ勃発へ

2009.06.03 10:55
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中国大陸が共産化される危機にさらされた1940年代後半、米国は日本占領の政策を全的に見直した。

 
当時、米国は日本を「東アジア地域の共産化を防ぐ反共の砦」に、そして韓国は「日本防衛に向けた緩衝国」にそれぞれ見なそうとした。日本はこれ以上侵略という過去の歴史を反省すべき敗戦国ではなく、東アジアの共産化に歯止めをかける同盟国に浮上した。反日を反共とともに国是に掲げた李承晩(イ・スンマン)政権は米国の思い通り動かなかった。

しかしクーデターで政権を獲得した朴正煕(パク・チョンヒ)政権は、米国の支持を得るための第一歩として日本との交渉に乗り出した。64年3月23日、当時の金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長は、池田政権と国交正常化に合意した。ついに米国が夢見た「日本を韓国の上に置く」地域統合(regional integration)の戦略は実現されたのだ。

翌日、ソウル市内の主要大学の学生らは一致団結し、韓日国交正常化をめぐる交渉が「民族性に反し主体性に欠けたもの」だとして街へ向かった。「共和党政権が掲げていた民族主義はどこかに消えてしまい、韓国の友邦、米国がかぶせた面紗(めんしゃ)が政府を幻惑する。我々は政府に問いたい。これが秘密会談が妥結される当為(とうい)か。対等な主権国家としての外交が、そうしたあり方でいいのか」(高麗大の3.24宣言文)。

最初から有識者らの反応はクーデターについて肯定的だった。しかし韓日協定を交渉する過程で、軍事政権が主体性のない姿と非民主性を見せるにつれ、蜜月は壊れた。「遺体よ!君はすでに死んで久しい。死んで、腐りつつある。魂のない遺体よ!」。詩人の金芝河(キム・ジハ)は64年5月20日「反民族的かつ反民主的な民族主義の葬儀」で、朴政権が語る民族主義の死亡を宣言する弔鐘を打ち鳴らした。

6月3日、ソウル市の主要道路は1万人を上回る学生と市民によるデモの行列であふれた。降り注ぐ雨の中を黙々と歩いていく大学生(写真=桑原史成「近いむかし、写真で記録した民衆生活」、国立中央博物館)らの固い表情は、それらの苦悩がどうだったかを物語る。「屈辱的な韓日会談への反対」と「朴政権の退陣」を叫んだソウル主要大学の学生らのデモがピークを迎えたその日、非常戒厳令という厳しい措置が取られた。

そのとき「6.3学生運動」を率いた大学生らは「民族を主体にした民主化」を待ち焦がれたのに対し、朴正煕政権は帝国との妥協の下、国家が主導する産業化を夢見た。民主化の勢力と産業化の勢力を縦・横の糸にして、多元化し豊かな市民社会を成し遂げた今日。より良い未来に進むための寛容と対話がいつになく必要とされる時点だ。

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