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【社説】我々が負うべき「セウォル号」家族の悲しみ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.10 10:59
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終盤に入った旅客船「セウォル号」捜索作業が終わっても、韓国社会は犠牲者の家族の怒りと悲しみをともにする責任から免れることはできない。天災地変でもないが、人災と官災が重なり、多くの幼い命を失ったこの事故は、我々の社会全体の罪の意識として残るしかないからだ。犠牲者の家族がKBS(韓国放送公社)抗議訪問後に青瓦台(チョンワデ、大統領府)へ向かい、9日午前に周辺道路をふさいでも、出勤中の市民が不平を言わなかったのも、むしろなぜ家族を屋根のあるところで休ませず道路で朝を迎えさせたのか気の毒に思ったのも、午前9時を過ぎて青瓦台首席秘書官らが家族と面談したのはあまりにも遅いと感じたのも、すべてこうした理由からだ。

家族を怒らせたKBS(韓国放送公社)報道局長の発言は、当事者の釈明のように真意が歪曲されているのかもしれない。しかし家族がこれを事実と考えたのは、残念ながら一部メディアの信頼が期待に達しなかったからだ。KBS報道局長の辞任と社長の謝罪で家族は解散したが、KBSの内部でも、放送通信委員会の基準に沿う災難主管放送局として、現場で報道関連人権保護と倫理に主導的な役割を遂行できなかったという反省が出ている状況だ。

 
家族はその間、政府もメディアも信じることができない総体的不信感のために苦しんだ。家族が「不信感と喪失の地獄」から抜け出せるよう、我々は十分に傾聴し、支援する義務がある。ただ、この渦中に家族の悲しみを政治的な扇動と特定目的の達成のために利用しようとする勢力は警戒する必要がある。誰も悲しみによる怒りを利用するのを容認してはならない。家族の悲しみはなだめ、扇動勢力が入り込めないよう、理性と高い市民意識が発揮されなければならない時だ。

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