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<離散家族対面>「兄さんがいつ来るかと、母は鍵をかけずに暮らしていた」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.24 09:34
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「私の暮らしていた故郷は、花が咲く山奥~桃の花、あんず花、かわいいチンダルレ」。

韓国戦争(朝鮮戦争)で家族と別れてしまった北朝鮮のキム・フィヨンさん(88)が対面場に持ってきた写真には、『故郷の春』の歌詞が記されていた。慶尚北道栄州(キョンサンブクド・ヨンジュ)が故郷のキムさんは「いつも写真を見て故郷を思い、歌を歌った」と言った。南から来たチョン・ギュさん(80)ら3人の妹は、底に座り込んで「ああ、兄さん」と言いながら涙を流した。

 
北側家族88人の申請により南側家族357人が北朝鮮を訪問した第2次離散家族対面が23日、金剛山(クムガンサン)離散家族面会所で始まった。弟(妹)に会った北朝鮮のチェ・インギュさん(82)は「64年ぶりに会えたね、64年ぶりに…」と言って言葉をつなぐことができなかった。北朝鮮にいる姉キム・テウンさん(79)と会ったキム・サブンさん(74)も「死んだと思って戸籍も整理したが、こうして生きていてくれてありがとう」と涙を流した。

韓国戦争時、北朝鮮の「義勇軍」になって連絡が途切れた家族の、胸が痛むような事情も多かった。イム・クミョンさん(86)は、自身の代わりに義勇軍に行って戻ってこられない弟のソン・ヨンさん(83)の手を握って「その時私が21歳でお前が18歳だったが、すでにこんなに歳月が流れた」として、兄を恨まなかったのか尋ねた。61年前に農作業をしていて義勇軍として徴集されたソン・ハウンさん(82)も弟に会った。当時4人兄弟が全員徴集されたが、3番目であるソンさんだけが唯一連絡が途切れていた。弟のハ・ジョンさんは「今まで生きていてくれてありがとう」と言って兄の顔をずっとさわっていた。戦争当時、北朝鮮軍に連行されて行った婚約者について行った姉ホン・ソクスンさん(80)に会ったホン・ミョンジャさん(65)も「ムーダン(占い師)に尋ねると姉が死んだといって家族が霊魂結婚までさせた」として涙を流した。

ベジェ高校3年の時に兄と共に義勇軍になったチュ・ジョンファンさん(83)も甥のジョンテクさんに会った。チュさんは、兄でありジョンテクさんの父親であるジョングクさんが2003年に83歳で平壌(ピョンヤン)で亡くなったという話を伝えられた。ジョンテクさんは「(便りが切れた父が)平壌にいたというから、それでも良い暮らしをしていたようだ」と言いながらうな垂れた。

唯一の婦女対面者であるにナムグン・ボンジャさんも北側の父親ナムグン・リョルさん(87)に会った。韓国戦争当時、ちょうど生まれたボンジャさんが父親と別れて60余年ぶりだった。ボンジャさんは涙を流して「私が分かりますか?」と尋ねたが、父親は60代になった娘に「分からないよ」と言って首を横に振った。ボンジャさんが5年前に亡くなった母親の便りを伝えると、ナムグン・リョルさんは「夢うつつにでも一度ぜひ会えたら…」と言って涙を飲んだ。甥のナムグン・キョンさんは「昨年秋の秋夕(チュソク、中秋)の時に叔母(ナムグン・リョルさんの末の妹)も車椅子に乗って来ようとしたが来れないまま亡くなった」として遺憾を表わした。

太平洋を渡ってきた高齢の海外居住家族もあった。夫について姓を変えた米国国籍のキム・ギョンスクさん(81)は、韓国戦争当時に別れた兄、チョン・ヨンウィさん(84)に会って「お母さんは、兄さんが出て行ってから鍵をかけずに暮らしていた」という話を伝えた。チョンさんは「お母さん!私がいつ戻るかもしれないと鍵をかけずに暮らしたのですね」と涙をこぼした。

個別対面に続いて開かれた晩餐では、約60年ぶりの家族の食事が行われた。北の兄リュ・グンチョルさん(81)に会った妹のグンベさんとジョンヒさんは、目を赤くしながら焼き魚や雑菜(チャプチェ)を食べさせてグンチョルさんのほおにキスもしていた。妹に会ったパク・ジェソンさん(80)は「さっき対面場で流した涙が両親の墓地に落ちてきて、美しい芝生になってほしいと祈った」と話した。北側団長であるイ・チュンボク朝鮮赤十字社副委員長は晩餐の席で「対決と分裂の溝を埋めて、統一の春を操り上げなければならない」と話した。引き続き北側対面者のチェ・ジュンギュさん(78)が「祖国統一万歳」と万歳三唱をした。

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