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小便・豚毛も立派な輸出品…韓国貿易、成長の軌跡(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.06 16:43
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今年の韓国の輸出業界は3兎を全てつかまえた。3年連続1兆ドル達成、史上最大輸出、史上最大貿易黒字だ。

1946年の輸出額がせいぜい3500万ドルに過ぎなかった韓国が、60年余りで出した成果だ。64年に輸出1億ドルを達成し、2011年に輸出5000億ドルを突破すると同時に、全世界で9カ国しか達成していない1兆ドルクラブの仲間入りを果たした。成長速度もはやかった。1億ドルから1兆ドル達成まで23年かかり、中国(16年)や米国(20年)に続き韓国は3番目に短い期間で快挙を成し遂げた。約50年間、韓国の輸出が年平均19.2%の速度で快速疾走したおかげだ。

 
速い成長と同じぐらいに輸出品目の変化も注目するに値する。戦後50年代の輸出品目と2013年の輸出品目は天と地ほどの差がある。50年代は鉱物が主力輸出品だった。重石(タングステン)、黒鉛、鉄鉱などを主に米国に輸出した。

韓国政府は52年「韓米重石協定」を結んで2年かけて1万5000トンを米国に輸出しながら外貨稼ぎを始めた。60年代の孝行息子の輸出品は、干したイカであった。外に売ることがふさわしくなかった当時に東海岸にあふれ出ていたイカが主力商品としての地位を確立した。販路は主に香港だった。当時、輸出現場では「天が韓国を助けようとイカを送った」とか「生きたロケット」という賛辞まで出てきた。しかしイカ釣りが7~11月に集中して輸出量が上下する上に漁獲量によって輸出単価が揺れ動く二重苦を体験した。当時はお金になることならば何でも売った。豚の毛、ネズミの毛、リス、ゴカイやヘビ、バッタも輸出した。実際、61年の10大輸出品目の10位に「豚毛」が上がってくるほどであった。江原道(カンウォンド)のシラカバは高級ようじにして米国に売り、イチョウの葉もドイツの製薬会社に売れた。

60年代、輸出品目の開発を苦心した韓国は、かつら産業に参入した。激しいくせ毛で手入れが難しい米国の黒人女性たちのかつら需要が多く、映画産業が盛んだったハリウッドでもかつらが流行したためだ。飴売りが手押し車を引いて全国の女性たちから髪の毛を収集してくると、女工が汗をかきながらこまめにかつらを作った。貿易協会関係者は「64年には1万4000個余りのかつらが輸出され、合成繊維で作った人造かつらまで登場して70年には輸出額が9000万ドルに達し、全体輸出の10%以上を占めるほどすごかった」と説明した。しかし主な市場である米国でかつらの流行が下火になって75年には10大輸出品目から消えた。

合板もやはり60年代を経て70年代中盤まで輸出をけん引してきた商品だ。57年に在韓国連軍に納品したのを機に始まった合板の外貨稼ぎは、61年から本格的な輸出が始まり急激に増えた。68年には輸出額が6800万ドルで総輸出の10%を超え、インドネシアとの修交で安値な原木が豊富に確保されてからは飛躍的な成長を繰り返して76年には3億5900万ドルの実績を上げた。


小便・豚毛も立派な輸出品…韓国貿易、成長の軌跡(2)

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