【その時の今日】戦後の米国の矛盾措置が独島葛藤に火をつけた
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.04.12 16:52
1904年9月、日本は近く迫ったロシア・バルチック艦隊との決戦に対応し、鬱陵島(ウルルンド)に2つの望楼を建てた。 翌年1月、日本は約2年間にわたる漁夫1人の無断居住と操業が国際法上の占領に該当するとして、独島(ドクト、日本名・竹島)を韓国から奪った。
「日本は暴力と貪欲によって略奪したすべての地域から追放されることになるだろう」。太平洋戦争がその終焉を告げる頃、戦後の日本領土に対する連合国の基本方針が明らかにされたカイロ宣言(1943年12月)を通じて、米国・英国・中国は日本の領土を1868年の明治維新前の規模に縮小すべきだと決定した。