<韓国総選挙>12年ぶりに「朴槿恵マーケティング」消えた
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.04.06 07:49
2004年3月24日。ハンナラ党代表に選出された翌日、朴槿恵(パク・クネ)代表は10階建て党舎の表札を外した。そして汝矣島(ヨイド)中小企業展示館に臨時に設置されたテント党舎の事務所まで1キロほど歩いた。23日後、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領弾劾の逆風を受けて崩壊の危機を迎えていたハンナラ党は第17代総選挙で起死回生(121議席確保)した。「選挙の女王、朴槿恵」の始まりだった。
その後、「朴槿恵マーケティング」はセヌリ党の選挙の常数だった。2008年の第18代総選挙では親李明博(イ・ミョンバク)派の候補さえも名刺の裏を朴槿恵元代表の写真で飾った。第19代総選挙(2012年)、2014年のセウォル号事故直後の6・4地方選挙でも与党は朴大統領の名前で選挙を行った。
しかし4・13総選挙で「朴槿恵マーケティング」は現在までほとんど見られない。12年ぶりの変化だ。ソウルのセヌリ党のA候補は当初、公報物の文言を「朴槿恵大統領の後ろには○○○(自身)がいました」と決めていた。しかし印刷の直前に「苦言を呈してきた○○○!」に変えた。A候補は「朴槿恵マーケティングはソウルでは受け入れられない」と話した。ソウルのB候補も「嶺南(ヨンナム、慶尚道)の壮年層有権者にのみ大統領との関係を強調する選別マーケティングをする」と語った。