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【時視各角】真実はおのずから守られるわけではない=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.12 16:08
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私たちはいつも真実が勝ってほしいと思うが現実はそうでない場合のほうが多い。それは真実が存在しないためでない。既得権や金儲け、自身の信じるもののために真実を陰湿に攻撃してゆがめようとする者がいるためだ。

『否定と肯定(Denial)』は実話に基づいた映画だ。ホロコースト(ユダヤ人虐殺)否定論を批判してきた米国教授デボラ・リップシュタットの出版講演会に英国の自称歴史学者デイヴィッド・アーヴィングが現れる。「ヒトラーの虐殺命令を証明する記録を持ってくれば1000ドルやる」。アーヴィングは聴衆に向かって札束を揺らしてみせる。アーヴィングは続けて「リップシュタットの本が私の名誉を傷つけた」としてロンドン裁判所に提訴する。

 
「No Holes.No Holocaust(穴が無ければ、ホロコーストも無い)」。アーヴィングは裁判でアウシュビッツのガス室の屋根の写真に毒ガスを注入した穴がないという点を浮き彫りにする。この単純なフレームは新聞ヘッドラインを飾る。隙間一つをこじ開けて入り、全体を揺さぶるアーヴィングの戦略をどう越えていくか。

アウシュビッツを訪れたリップシュタットの弁護士は研究者に執拗に尋ねる。「その証拠は何ですか」「証拠はどこにありますか」。ついに悔しさを爆発させる。「なぜ50年過ぎてもここにある全てのものに対する科学的な調査をしないのですか」

そうだ。真実はおのずから守られるわけではない。「ホロコーストの否定」が始まり出したのは、第2次世界大戦から数十年が過ぎるまで科学的・体系的調査が行われなかったためだ。「間違いのない歴史的事実」という確信がむしろ陰謀説の温床になってしまったのだ。

「光州事件は暴動だ」「北朝鮮特殊部隊が起こしたゲリラ戦だ」「光州事件有功者という怪物集団を…」。息詰まる妄言が国会で次から次へと出てきた。これに対して判事出身だという野党院内代表は「歴史的事実に対する多様な解釈は存在しうる」と述べた。国民を代表する資格がない人は国会にいる理由がない。

苦痛に思うのは、たとえ彼らが消えたとしても「光州事件の否定」は終わらないということだ。特に似ているわけでもない顔をいくつか前面に出して「北朝鮮軍の光州事件介入」を主張する者は繰り返し出没するだろう。「戯言にあえて言い返す必要があるのか」。このようなささやきを笑って流してはいけない。

よくみてみると、「光州事件の否定」も徹底して持続的に調査してきたというよりも、政権交代のたびに再調査だけを繰り返したせいも多分にある。そうしている間に『全斗煥(チョン・ドゥファン)回顧録』やその妻の李順子(イ・スンジャ)による自叙伝『あなたは孤独でない』が出版され、信奉者の復興集会が開かれた。彼らに対抗して真実を守るには、絶えず調査をして証拠と記憶を保存して、本を書いて、戦わなければならない。努力しなくても真実は守られるという幻想から捨てるべきだ。

光州事件はただの予告編にすぎない。10年、20年後にはセウォル号惨事がねつ造されたという主張が国会に登場するかもしれない。記憶に新しいところではセウォル号遺族のハンガーストライキの現場でピザとチキンを食べていた者がいたではないか。崔順実(チェ・スンシル)ゲートと国政壟断、司法行政権乱用をめぐっても根も葉もない陰謀説とねつ造説、そして「多様な解釈」が提起されるだろう。

断言すると、時間が流れてその時になれば、いんちき政治家やその類の法曹人、自称歴史学者が「証拠を持ってこい」と言って札束を揺さぶって見せるだろう。「自分の両目で確認することができなければどんなことも信じられない」「No Holes…」という映画の中のヘッドラインは、現実で「△△△なければ○○○もない」というフレームに変質していくだろう。

「悪は誠実だ」(韓国ドラマ『耳打ち ~愛の言葉~』)。1ミリの小さな隙間も見逃さず、執拗に、知能的に食い込む。真実を検察と法廷だけに任せてはいけない理由だ。真実が重要なら、その分もっと真実に向かって突き進むための戦いをやめてはならない。各自が自分の場所で冷静に怒り、私たちの誠実さで悪の誠実さを打ち勝っていかなくてはならない。

クォン・ソクチョン/論説委員

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