【コラム】恨と興の融合民国=韓国

【コラム】恨と興の融合民国=韓国

2014年03月19日15時10分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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  韓国人の情緒を1文字で表せば“恨(ハン)”だという。私はしかし、いったい“恨”という感情をどのように定義できるのか気になる。ある先生が漢字の“恨”を見ればうまく理解できるとおっしゃったことがある。だが私はこの字を見て戸惑った。中国語で“恨”という字は「憎しみ」あるいは「怨恨」という否定的意味だけで使われるためだ。韓国人のイメージは親切で善良だが、胸中には憎しみと怨恨がうっ積しているということなのかと気になった。

  いつか韓国人の友人と歴史の話をしながら私が冗談で「中国の学生たちが最も頭を痛める科目は歴史だ。互いにたたき合って戦う中で300年以上になる王朝もほどんない」と言った。それと共に「中国に比べて韓国の学生たちは本当に良いだろう。朝鮮・高麗がいずれも500年以上続いたし、新羅時代は何と1000年も続いた」と付け加えた。すると韓国人の友人は「私は歴史が好きだが、私たちの歴史を習って残念な気持ちだけを感じた。苦しい思いを抱えて数千年を生きてきたのが韓民族だ」と答えた。

  友人の話を聞いて韓国の歴史に好奇心がわいてきた。事実、中国の歴史教科書は米国・欧州・日本については多くの分量を割いているが、韓国の歴史については1、2行ぐらいしか出てこない。思い立ったら吉日とばかりに、その日の夜中に韓国の歴史の本1冊を読んだ。中国の人々が嫌いな歴史は外侵を受けた宋・清末期なのだが、韓国の歴史を見ると外侵を受けた苦難の歴史がとても長かった。

  そうするうちに“アリラン”という民謡にも接することになった。最初の一小節から悲しい旋律が部屋中に広がった。私の心もジーンとして悲しかった。“アリラン”が“恨”という情緒を最もよく表現するというが、歌を聞くと理解できるようだった。それからもう1つ気がかりなことができた。韓国人の“恨”という感情は、憎しみではなく悲しみに近い感情なのか。これに対する答えを探すためにパンソリを探して聞き始めた。マダン劇も色々と探してみた。春香(チュニャン)の話(春香伝)に熱中しながら、韓国人の“恨”にさらに少し近づいたようだった。

  中国の伝統民俗文化は、雄壮さに代表される。英雄の叙事詩のように豪放な内容が主だ。一方、韓国の伝統民俗文化は素朴ながらも庶民的だ。続く外憂内患の中に遺憾とくやしさ、悲しみと願望が積み重なったようだ。悔しいが仕方がないという気持ちを押さえ込んだまま生きていかなければならないという、わだかまりのある気持ちで数千年を生きてきた民族が韓民族なのだ。

  ここで「だが私たちはこのような苦痛の中でも絶望せずに、強い根気で耐えてきた」という友人の話を思い出す。“恨”という情緒のために韓国人が西洋文明を速いスピードで受け入れて世界が驚くほどの漢江(ハンガン)の奇跡を成し遂げたのではないだろうか。

  新千年の韓国は変わった。現代韓国人には“恨”という情緒よりは、積もり積もったわだかまりを一瞬にして爆発させるエネルギー“興”という情緒がさらに似合うと考えられるようだ。韓国の放送でも、今は『7080コンサート』で流れる昔の歌よりは『ミュージックバンク』のように躍動的なダンスと歌が世界の耳目をさらに引っ張っている。華やかで多彩な現代韓国人の“興”という情緒は、まさに同時代の現代人の自我を代弁しているようだ。

  韓国人の文化やその根底にある心理だけでなく、行動方式でも“恨”と“興”の共存を見出せる。外国人の目には、韓国人の中にはこの2つの相反した指向が共存しているように映る。衝動的・多血質に代表される韓国人は、自身が属する組織の中では強い忍耐心を見せて上部に服従する。仕事をする時は厳粛で真剣だが、酒の席では飲酒歌舞を楽しんで乱れた姿までもが許される。“恨”を“興”に昇華させる韓国人の姿の中から出てきた韓国人の力を見る。

  陳莉・国立外交員専任講師…1979年中国審陽生まれ、瀋陽師範大学卒。淑明(スンミョン)女子大博士課程修了。来韓後は主にビジネス中国語を教えてきた。

  (中央SUNDAY第366号)
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