【噴水台】低姿勢

【噴水台】低姿勢

2008年06月10日14時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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 海洋水産部長官時代の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領は「JP(金鍾泌)と自由民主連合(自民連)をまた見ることになった」と告白したことがある。 DJP(金大中と金鍾泌)連合政権に所属し、行政を学んでいる最中だった。 盧長官は「国務会議に行けば尊敬できる長官は3人いる」と話した。 自民連出身の韓甲洙(ハン・カプス)農林、辛国煥(シン・ククファン)産業資源部(産資部)長官、民主党出身の高建(コ・コン)ソウル市長がその3人だ。 一様に30年以上もエリート官僚を経験している。 盧長官は「3人の方が発言する度に、豊かな経験としっかりとした論理に感動を受ける」とし「民主党出身の長官らは能力がかなり落ちる」と比較した。

  実際、韓・辛長官は果川(クァチョン)官界でしっかりと仕事をした長官として評価されている人物だ。 盧長官が「JPの人を見る目は最高だ」と感服した程度だ。 盧前大統領が初の組閣当時、高建国務総理を指名したのも偶然ではない。 彼は不安なアマチュア政権に安堵感を与える均衡軸の役割を十分に果たした。

  日本の歴史で、天皇は1500余年間、一家門で継承された。 その次に高い位は太政大臣。 韓国の領議政と似ているが、格はもっと高い。 不正をしても弾劾を受けず、天皇の師であり摂政もする強大な地位だ。 にもかかわらず、欲が出るこの官位を藤原不比等(659-720年)は3度も辞退した。彼は2人の娘を天皇と皇太子に嫁がせるほど強力な権力を手にした。 しかし彼はへりくだった態度をとった。 「周囲の人々の見る目がある」と言いながら、頑なに太政大臣を断った。 この官位は彼の死後になってから追贈された。 <キム・ヒョング著『日本の話』>

  その後、誰も太政大臣の地位をむやみに考えることはできなかった。 豊臣秀吉だけが例外だといえようか。 徳川家康さえも死の直前の1カ月間だけこの地位にとどまったにすぎない。 藤原不比等の辞退以降、日本には太政大臣を空席として残すのが伝統になった。 低姿勢の藤原家門は民心を得て、事実上、権力を独占した。 天皇の家門と近親婚姻を通じて1200余年間にわたり朝廷を支配しながら、日本最高の家門に定着した。

  最近の牛肉事態で青瓦台(チョンワデ、大統領府)秘書陣が退き、内閣も総辞職する手続きを踏んでいる。 民心を取り戻すには大胆な決断が切実な雰囲気だ。 政派を離れて能力中心の幅広な人事をすればどうだろうか。 自民連出身の長官が成功したように。李明博(イ・ミョンバク)大統領の「姿勢を低くする」という確認もよい兆しだ。 藤原家門から姿勢を低める秘訣を学んでほしい。 日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという学説が少なくない。 それなら、われわれの血筋にも奉仕の美学が残っているのは明らかなのだが…。

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