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徴用者の墓が「産業革命遺産」に…軍艦島の真実(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.08 10:48
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◆共同著者、『端島の呻き声』重視

こうした流れの中で2日、『軍艦島に耳を澄ませば 』(ソンイン出版社)という本が翻訳出版され、注目されている。これも「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が2011年に日本で出した本だ。今ごろになって出版されたが、翻訳されたのは幸いだ。「端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記憶」という副題がついている。共同著者は「端島の呻き声」という表現を重視する。長崎在日朝鮮人の人権を守る会の柴田利明事務局長は「迷子になった子どものわずかな声も逃さずに捜し出そうとする母親の気持ちを考えればよい」と話した。子どもがいるところに必死にたどり着こうとする母親の切実な苦闘、映画を作った監督もその映画を批評する人もその心の声にもう少し耳を傾ける必要があるようだ。

 
65年に結成された長崎在日朝鮮人の人権を守る会は81年、『原爆と朝鮮人』第1集を出して以来、これまでこうした作業を続けている。86年には端島で1925-45年に死亡した日本人・朝鮮人・中国人の「火葬埋葬認許証」という文書を発掘した。ここには123人の朝鮮人が含まれていた。死亡者の出身地とともに死因も記載されているが「病死60人、事故死63人」だった。事故死のうち最も多いのは「窒息」(埋没による死亡を含む)で24人。次いで「圧死」9人、「脳損傷」2人、「爆傷死」2人、「墜落死」1人、「頭部打撲傷」1人などだった。死亡者はこれより多い可能性があるが、この文書の発掘で強制徴用はなかったと強弁する日本政府に反論する物証を確保することになった。

この市民団体が活動を展開した80年代の韓国はどうだったのか。「3低(ドル安、原油安、低金利)」好況の波に乗って60年代以降に進んだ産業化の成果が表れ始めた。別の一方では軍事独裁に抵抗する民主化運動が激しく展開された。産業化と民主化の理念衝突が深刻になる中、それ以外の価値に関心を傾ける人は多くなかった。

3日午後、冨平(プピョン)公園を訪れた。猛暑を避けて木陰に集まる市民が見えた。仁川(インチョン)市内の代表的な市民公園になったのは2002年からだ。解放後、97年まで韓国軍部隊(88整備隊)の軍需車両基地として使用された。それ以前は何に使われたのだろうか。1940年から戦争が終わるまで三菱重工業がここで軍需武器を生産し、戦場に供給した。このような歴史を記憶する人はほとんどいないようだった。公園の案内表示板に小さな文字で書かれていたが、そのまま通過してしまう。

冨平公園の向かい側には公園より4倍広い面積の米軍部隊がある。公園のそのほかの三方はマンションで囲まれている。90年代半ばから今まで20年以上も日本の強制徴用問題を研究して知らせてきたチョン・ヘギョン博士(強制動員平和研究会研究委員)は冨平公園のような植民地時代の戦争遺跡がソウルだけでも300カ所以上あるという。韓半島(朝鮮半島)全体では約8300カ所にのぼる。我々の生活空間の中に存在しているが、こうした遺跡を探し出して公開することに関心を持つ人は多くない。

軍艦島の炭鉱を開発したのも三菱だった。長崎在日朝鮮人の人権を守る会は朝鮮人強制連行の加害企業である三菱石炭鉱業に遺骨返還を要求する運動を展開したが、三菱からは一度も誠意のある返答はなかったという。

冨平公園から車で3分、徒歩10分の距離に富平駅があり、この一帯には「文化通り」が続く。忙しく行き来する車と人々の中で戦争の記憶は消えていくようだ。こうした中、冨平公園に12日、「徴用労働者銅像」が設置される予定だ。仁川地域の市民団体と全国民主労働組合総連盟(民主労総)・韓国労働組合総連盟(韓国労総)などが昨年末から募金し、作品の公募を経て彫刻家イ・ウォンソク氏の「解放の予感」が選ばれ、この日午後に除幕式を行う。


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    2017.08.08 10:48
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    端島の炭鉱(写真=ソンイン出版社)
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