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徴用者の墓が「産業革命遺産」に…軍艦島の真実(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.08 10:47
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長崎港から南西に18キロ離れた島、端島。コンクリートの壁と灰色の建物が目を引くこの島の別名は「軍艦島」だ。遠くから見るとあたかも軍艦が浮いているように見えるためだが、軍国主義日本の侵略性を反映するような名称だ。しかし「地獄島」とも呼ばれたこの島が2015年、ユネスコ世界文化遺産に登録され、「強制徴用の歴史」は消えて「明治産業革命の栄光」として脚光を浴びている。

慶尚南道宜寧(ウィリョン)が故郷の故ソ・ジョンウさん(1928-2001)がこの島に強制連行されたのは14歳の時だった。到着した初日から米袋のような服を配られて炭鉱で働いた。掘削場はうつ伏せになって石炭を掘らなければならないほど狭かった。熱く、ガスが充満しているうえ、落盤の危険もあり、このままでは生きて帰れないと思ったという。実際、落盤で月に4、5人は死んでいくようだった。死亡者は端島に近い中ノ島で火葬された。豆かすと玄米の飯にイワシをまるごと煮てつぶしたおかずで食事をした。1人あたり畳1枚の広さにもならない狭い部屋に7、8人が入って過ごした。少し休もうとすると、監督が管理事務所に連れていき、「働きに行きます」という言葉が出るまで殴った。「同僚のうち自殺した人や(端島から5キロの距離にある)高島に泳いで逃げようとして溺死した人が4、5人いる」。

 
ソさんが1983年にした証言だ。端島の朝鮮人強制徴用実態が初めて世の中に知られた。事実上の奴隷労働だった。ソさんは泳げなかったため、海に飛び込むことは考えられなかったという。島にいた韓国人は500-600人と推定されている。ソさんの証言は当時、『原爆と朝鮮人』という雑誌第2集に載せられた。日本の市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が出した。

市民団体の努力がなかったとすればどうなっていただろうか。今日の我々がハン・スサン氏の小説『軍艦島』を読むこともできなかっただろう。リュ・スンワン監督の映画『軍艦島』を評価しながら議論することもなかっただろう。ハン・スサン氏は1989年、日本のある古書店で『原爆と朝鮮人』を見て衝撃を受け、小説として残そうと考えた。リュ・スンワン監督は2015年、この島がユネスコ世界文化遺産に登録されるのを見ながら公憤を覚え、映画製作を始めたという。

ところが映画に対する観客の評価は冷静だ。スクリーン独占の問題点はさておき、映画の内容についてさまざまな声が出ている。映画は軍艦島という名前を借りただけで、軍艦島で起きたことだけを入れたのではない。強制徴用のいくつかの事例を混ぜているうえ、そこに監督の想像力と希望を加えて製作した。


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    2017.08.08 10:47
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    軍艦島または地獄島と呼ばれる島、端島。(写真=ソンイン出版社)
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