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【取材日記】子ども3人と同伴自殺…極端な母性愛が韓国で論争に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.07.12 10:33
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仁川市景西洞(ギョンソドン)のある野外駐車場で主婦A(42)と2歳、4歳、6歳の子どもが遺体で発見されてから3日目の9日。ポータルサイトとソーシャルメディア(SNS)空間では主婦Aの極端な選択に対する批判と同情が見られた。代表的な批判は「子どもは親の所有物でないのに、本人が命を断つ前に子どもまで死なせるのは許されない」というものだ。これに対し「本人がいなくなれば子どもが将来苦しむため一緒に連れていったのだ」という同情の世論があった。一人の母親の極端な行動が一部の人には母性愛として映ったようだ。

Aが3人の子どもを連れて極端な選択をするまで多くの悩みがあったはずだ。しかし尊い命を断つ行為、それも子どもまで死なせる行動に同情で接近するのは望ましくない。

 
親といっても子どもの生命権まではく奪する権利はない。子どもを殺害した後に本人が命を断つのは同伴自殺ではなく犯罪だ。自殺予防学界でも今回の事件のような事例は「子ども殺害後の自殺(child murder followed by a parent’s suicide)というカテゴリーに入れて研究する。同伴自殺は成人2人以上が合意した後にする極端な選択だ。この過程でも生存者は自殺ほう助容疑で処罰を受けることがある。

それでも同情論が出てくる理由は、生命の選択権まで親が決めることを子どもに対する責任とみる認識が残っているためと考えられる。警察によると、親が子どもを死なせた後に自殺する事件が毎年14件(2006-2013年)ずつ発生しているが、こうした世相が反映されたことを裏付けている。

子どもに対する親の責任を考え直してみると答えが出てくる。親が自分の人生を放棄せず、子どもがこの社会の正しい構成員に育つよう助けることが当然の責任だ。共に死ぬことが答えではない。子どもは親の所有物でなく独立した存在という認識が韓国社会に定着しなければならず、このような認識の変化のための教育も必要だ。

Aがなぜ自殺したのかは把握するのが難しく、人の死は誰にとっても悲しみになるしかない。幼い子どもの命まで共に奪う行動は許されることではない。生命は生まれるその瞬間からすべて保護されなければいけない存在だ。親であれ国であれ一人の生命を守って育てなければいけない義務があるだけだ。

チェ・ソンウク/ナショナルチーム記者

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