【コラム】ハーディングとケリガンではなく、キム・ヨナと浅田のように=韓国

【コラム】ハーディングとケリガンではなく、キム・ヨナと浅田のように=韓国

2017年04月17日09時00分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  冬季オリンピック(五輪)フィギュアスケートには特定の名前がついた2つの対決がある。「ブライアン対決(Battle of Brians)」と「カルメン対決(Battle of Carmens)」で、どちらも1988年カルガリーでのことだった。ブライアン・オーサー(カナダ)とブライアン・ボイタノ(米国)が正面対決を繰り広げた男子シングルが「ブライアン対決」だ。「フィギュアクイーン」キム・ヨナのコーチだった、そのオーサーだ。0.1点差でボイタノが金、オーサーが銀を獲得した。「カルメンの対決」は女子シングルだった。カタリナ・ヴィット(当時東ドイツ)とデビ・トーマス(米国)のフリースケーティングのBGM(ビゼーの『カルメン』)が同じだった。ヴィットが金を獲得し、トーマスは銅に終わった。どちらもフィギュア史で今も語られている名対決だ。

  これら2つの対決のように特別な名前こそつかなかったものの、フィギュア史に残した足跡がそれ以上のライバル関係が2つある。トーニャ・ハーディング-ナンシー・ケリガン(以上 米国)、そしてキム・ヨナ-浅田真央(日本)だ。フィギュアファンなら名前を聞いただけでも何のことか察することと思うが、まさにそのことだ。

  リレハンメル冬季五輪を約一月後に控えた94年1月6日、ケリガンが何者かに襲われた。五輪に出場する国家代表を選ぶ全米フィギュア選手権大会期間の真っ最中だった。ケリガンが抜けた状況で優勝したハーディングが出場権を獲得した。事実、ハーディングは直前シーズンの負傷で代表選抜が不透明だったが、ケリガンが抜けた穴に滑り込むことができた。事件からそれほど経たずに犯人3人が捕まったが、そのうちの1人はハーディングのボディーガードだった。捜査が進む中で五輪が開かれた。負傷を乗り越えて出場したケリガンは銀メダルを獲得した。ハーディングは8位にとどまり、五輪直後に犯罪容疑を認めた。ハーディングの選手人生は終わった。世の中は2人を優れたフィギュア選手ではなく、この事件によって覚えている。

  2014年ソチ冬季五輪直後に引退したキム・ヨナに続いて、先週浅田が引退した。浅田は12日の引退記者会見で「キム・ヨナはどんな存在だったか」という質問に「お互いに良い刺激をもらいながら、スケート界を盛り上げられたのではないかと思っている」と答えた。現役時期、キム・ヨナも浅田に関する質問を受けると、同じように答えた。2人とも心からそのように考えているだろうと信じている。実際、両選手は2004年ジュニアグランプリファイナルで初めて会い、キム・ヨナが引退する時まで10年間、互いに良きライバルとして共に成長してきた。その10年間、キミー・マイズナー(米国)やカロリーナ・コストナー(イタリア)、安藤美姫(日本)、ジョアニー・ロシェット(カナダ)ら数多くのフィギュアスターがいた。それでも人々はこの時期を2選手のものと記憶する。

  16日で第19代大統領選挙候補の登録が終わった。来月9日まで候補間の熱い闘いが繰り広げられる。先週、初めての大統領候補討論で互いに良い刺激を与え合う候補がいた半面、「言葉の刃物」を振り回す候補もいた。残りの期間、こういう現象は繰り返され、程度はますますエスカレートしていくだろう。ケリガンとハーディングのようにではなく、ぜひキム・ヨナと浅田のように競い合うところが見たい。

  チャン・ヘス/スポーツ部次長
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