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文大統領の北核トラウマ…金正恩の暴走を止めるには(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.06 13:42
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金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の核の野心が暴走機関車に乗った。6回目の核実験の余震がまだ残る咸鏡北道豊渓里(プンゲリ)では追加挑発の動きがあった。兵器庫に隠しておくべき核弾頭を最高指導者がいじっている前代未聞の光景が北朝鮮のテレビで公開された。大陸間弾道ミサイル(ICBM)実距離発射も迫っている兆候が表れている。相次ぐ挑発に大韓民国は戸惑っている。金正恩委員長が乗った北核列車の軌跡をたどりながら対応策を分析してみる。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の急逝は衝撃だった。盧大統領の同志であり永遠の秘書室長を自負した文在寅(ムン・ジェイン)大統領は深い悲しみに包まれた。ところがもう一つ波紋が重なった。逝去2日後の2009年5月25日、北朝鮮が核実験を実施したのだ。平壌(ピョンヤン)南北首脳会談(2回目)のパートナーであり、誰よりも北朝鮮との対話と関係進展に愛着を表したという評価を受けた故人だ。こうした状況を少しでも配慮していればあり得ないことだった。喪主と変わらない立場で怒りを露わにすることができなかったが、北朝鮮政権に対する文大統領の当時の失望感は相当なものだった。

 
前兆は盧武鉉大統領の執権当時の2006年10月9日にあった。金正日(キム・ジョンイル)総書記は最初の核実験を敢行した。「核プログラム疑惑」や「平壌政権のブラッフィング(bluffing、誇張)」程度と考えていた北核イシューが実体的な脅威として近づいた瞬間だった。任期4年目の大統領には安保リーダーシップの危機でもあった。北核実験の責任を問うて対北朝鮮参謀の李鍾ソク(イ・ジョンソク)統一部長官をやむを得ず交代させた。「核保有は抑止手段」という北朝鮮の主張をめぐり「一理ある」(2004年11月)という立場を表した盧大統領は、核実験でさらに激しい批判に直面した。青瓦台民情首席秘書官から秘書室長に変わって核実験状況を目撃した文在寅大統領にとって北核はトラウマだった。

その文大統領に北核がまた近づいた。5月の就任直後に弾道ミサイル挑発で情勢を悪化させた金正恩委員長が今度は核実験のボタンを押した。核と運搬手段(ミサイル)の結合を通じた現存する脅威として北核が迫ってきたのだ。これほどの状況になることは予想していなかった。北朝鮮政権に強硬姿勢を維持してきた李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)保守政権の9年間の対北朝鮮積弊を清算するのは難しくないと思われた。金正恩委員長が新政権には前向きな態度を見せるだろうという期待もあった。

しかし予想は外れた。北朝鮮は文大統領のベルリン対北朝鮮提案とその後続措置の軍事・赤十字会談の提案を踏みにじった。文大統領を「南朝鮮執権者」と表現し、暴言を浴びせた。金正恩委員長は先月末、西海(ソヘ、黄海)延坪島(ヨンピョンド)占領訓練を参観し、「南朝鮮を占領しろ」という好戦的な発言をした。「対話」に傍点を打った文在寅政権に対する最小限の考慮もなかった。

6回目の北核挑発は文在寅大統領の胸中のレッドラインが深く侵犯されたことを見せた。核実験の直後に国家安全保障会議(NSC)を主宰した文大統領は「極めて遺憾であり怒りを抱くしかない」と述べた。北朝鮮の金正恩政権に対する最も強力な失望感の表現だ。先月初め、トランプ米大統領は金正恩委員長に「今まで世界が見たことのない『炎と怒り』に直面することになるだろう」と警告した。この発言に青瓦台(チョンワデ、大統領府)と政府は眉をひそめた。ところが1カ月足らずで文大統領が「怒り」を話す状況になった。


文大統領の北核トラウマ…金正恩の暴走を止めるには(2)

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