「売国奴と言われながら作り上げた韓日関係…両国首脳が回復してくれたら」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.06.22 10:51
61年に朴正熙将軍を助け5・16を成功させたが国の貧困を追い出し祖国近代化を成し遂げるための元手が必要だった。元手が出てくる所は対日請求権資金しかなかった。李承晩(イ・スンマン)大統領時代から国交正常化交渉が毎回行き詰まったのは請求権資金の金額のためだった。お金をどれだけ受け取ろうが植民地被害の恨と憤怒はなだめられなかった。だれが交渉しても国民的非難は避けにくい構造だった。朴正熙議長は金元首相に対日交渉の密使役を任せた。
金元首相は池田勇人首相には日本の「韓国分断と戦争責任論」突きつけた。大平正芳外相には戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「ホトトギス」の古事を取り出した。金元首相は「3人がホトトギスを鳴かせる方法は違う。信長は『鳴かぬなら殺してしまえ』、秀吉は『鳴かせてみよう』、徳川は『鳴くまで待とう』という方法だった。あなたと私はどうにかホトトギスを鳴かせてみようという秀吉式で行こう。交渉を妥結し問題を解決してみよう」と説得した。大平外相が交渉中に態度を変えて妥結側に旋回したのは日本の文学と歴史、言語に精通した金元首相の人間的深さに引かれた側面もあった。