<日本自民党総裁>麻生太郎氏、プライド高い保守派の「看板」

<日本自民党総裁>麻生太郎氏、プライド高い保守派の「看板」

2008年09月23日16時14分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  戦後、日本の再建運動をした吉田茂首相が外祖父である日本自民党の麻生太郎幹事長が4度目にして首相の夢をつかんだ。

  自民党の人気が大きく落ちた状況で福田首相が電撃辞任を宣言し、来月、総選挙を行わなければならない危機に処すると森元首相は総選勝利のために国民的人気が高い麻生幹事長を選んだのだ。

  こうした雰囲気からか、勝利した麻生氏の顔は喜びより決意がいっぱいにみなぎっていた。来月の総選挙で敗れれば自分が辞退しなければならない状況だからだ。麻生氏の当選後のコメントも「この瞬間から民主党との決戦に集中しなければならない。それでこそ私が真の首相になる」というものだった。

  麻生氏は日本の福岡県飯塚の政治名門の家系に生まれた。麻生氏の外祖父である吉田茂元首相は日本が敗亡した後、1946~54年、首相に在任し、韓国戦争特需を足場に日本を再建させた人物だ。「米国の防衛の傘の下で経済に専念する」という「吉田ドクトリン」は日本経済成長の根本哲学になった。麻生氏はこの日、当選が決まった後「日本には逆境を踏みこえて国を起こした首相が多かった」と感激的な声で吉田元首相の名前を推挙した。

  彼の政治哲学は吉田元首相から出発する。彼は幼いころから吉田元首相の膝の上で遊びながら「日本はすごい国だ。困難があっても必ずうまくやる」という外祖父の信念を耳にたこができるほど聞きながら育ったという。こんな影響で麻生氏は「日本はアジアの先駆者」という強い自負心を持つようになったが、自然に彼の政治路線は保守右派となった。

  しかし吉田氏の新たな実用主義路線が麻生氏に流れているという評価だ。彼が多様で幅広く積んだ経験と見聞も影響を与えた。韓国政府関係者は「彼が2005年、外相に就任した際、最初の懸念とは違い、過去の歴史や独島(トクト、日本名・竹島)問題などに対して中立的な姿勢を維持するなど、韓日対立管理のためにかなり努力した」と言った。彼は個人的な資格で行った靖国神社参拝も外相になった後はしていない。「個人の信念と国益がぶつかる場合は国益を選択する」と周りの右派政治家たちに了解を求めたものと伝えられた。

  庶民的な話し方とユーモアを交えた毒舌が国民的人気を呼ぶ背景だが、国民に分かりやすく言おうとしてよくない結果をもたらすともいわれる。「朝鮮人が自ら望んで創氏改名をした」と言うなど歴史関連妄言も何度も述べたが、毎年2度、これまで韓国を50回程度訪問している。
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