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【寄稿】1914年の外交失敗を振り返る時=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.19 10:48
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1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで殺害されたというニュースが電信に乗り伝えられた。それから5週間後に第1次世界大戦が勃発した。ドイツ人の集団記憶で第1次世界大戦は第2次世界大戦とホロコーストという人類に対する犯罪の影に隠れている。しかしドイツの大多数の周辺国と世界各国には第1次世界大戦は深く刻まれている。最近多くの研究報告書には第1次世界大戦をめぐる欧州各国の算法が詳細に出てくる。当時欧州各国は迅速で成功裏に戦争を行えると生半可な予測をし、敵と同盟軍の行動に対し誤った判断をした。

100年前に勃発した第1次世界大戦は欧州のエリート、軍、外交の総体的な失敗を見せる、印象的であると同時に悲劇的な歴史だ。各国が政治的に判断を誤り軍隊を動員する悲劇的事件が連鎖的に発生するかなり前から、欧州強大国の関係は薄氷の上を歩くように危うかった。当時の欧州の外交政策では信頼構築と利害関係の平和的調整に対する意志や手段は見つけられなかった。むしろ根深い相互不信を土台にした秘密外交手段に依存しただけでなく、第三者を犠牲にさせ自国の勢力を拡張することをはばからなかった。当時の資料を見れば、情勢の誤判断がどれほど頻繁で政治的に近視眼的思考を持っていたのかがよく表われている。もちろんそれでもドイツ外交の失敗を正当化してはならない。当時のドイツでは状況を沈静化しお互いを理解しようとする努力の代わりに事態を尖鋭化する側の意見が貫徹された。

 
幸いにも今日では欧州の心臓部で再び戦争が起きるということは想像もできなくなった。ドイツが始めた第2次世界大戦で文明の断絶を体験した欧州は同盟関係が絶えず変わる不安定な均衡の代わりに「欧州共同体」を選択した。欧州連合(EU)を通じ各国のそれぞれ異なる利害関係を平和的に解決できることになった。欧州人には強者の権利の代わりに強力な法が通じる。もちろんEU本部があるブリュッセルの交渉テーブルで妥協案を模索する過程は大変で退屈でのろく見えることもある。だが、第1次世界大戦勃発100周年になる今年、過去には銃口で狙った数多くの国がいまでは何日も夜を徹して平和的で紳士的に共同の解決策を模索することがどれほど苦しんで成し遂げた成果なのかを振り返らなくてはならない。


【寄稿】1914年の外交失敗を振り返る時=韓国(2)

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