抗日運動家・朴烈の同志・金子「生きるとは自分の意志で動くという事」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.11 09:28
次第に差別と抑圧に反旗を翻すことになった金子は父の元を離れて上京する。東京で金子は苦学生活を送りながら社会主義と無政府主義に傾倒する。それは苦痛だった自身の人生がどこで始まったのか覚醒する契機になった。親が子どもを一方的に扱い、それを親孝行で正当化しようとするのは階級支配の一環だというのだ。すなわち、権威的な家庭は天皇制を維持する基本的な骨組みであるという事実に気づくことになったのだ。
金子は自叙伝にこのように書いている。「生れ落ちた時から私は不幸であった。横浜で、山梨で、朝鮮で、浜松で、私は始終苛められどおしであった。私は自分というものを持つことが出来なかった。けれど、私は今、過去の一切に感謝する。私の父にも、母にも、祖父母にも、叔父叔母にも、いや、私を富裕な家庭に生れしめず、至るところで、生活のあらゆる範囲で、苦しめられるだけ苦しめてくれた私の全運命に感謝する。なぜなら、もし私が、私の父や、祖父母や、叔父叔母の家で、何不自由なく育てられていたなら、恐らく私は、私があんなにも嫌悪し軽蔑するそれらの人々の思想や性格や生活やをそのままに受容れて、遂に私自身を見出さなかったであろうからである」。