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<北6回の核実験分析>予告なし、月曜日選好、ミサイル発射後

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.06 10:35
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3日午前6時43分、北朝鮮国営朝鮮中央通信は金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が核兵器研究所を現地指導したと報道した。北朝鮮は引き続き午後0時30分に咸鏡北道吉州郡豊渓里(ハムギョンブクド・キルジュグン・プンゲリ)で核実験を強行した。ここでも金正日(キム・ジョンイル)総書記死去後に権力を握ってから4回実施した金正恩式核実験パターンが表れている。

(1)事前予告がない=金正日は2006年10月9日に初めての核実験を実施した。これより6日前の10月3日に北朝鮮外務省は「米国の圧殺政策をこれ以上傍観できない。科学研究部門で今後安全性が担保された核試験(核実験)をすることになる」という声明を出した。北朝鮮外務省はまた、2009年4月14日にも「(核問題解決に向けた)6カ国協議に参加しない。自衛的核抑止力を強化する」と明らかにした。国連安全保障理事会が北朝鮮のミサイル発射(4月5日の長距離ロケット)に対して非難し、対北朝鮮制裁1718号履行を強調する議長声明を採択したことに対する反発だった。北朝鮮は41日後の5月25日に核実験を強行した。

 
このように金正日は外務省を通じて核実験を予告し、一定期間後に実行に移す形だったが、金正恩は4回の核実験を行ないながら一度も事前に知らせなかった。

(2)金正日は月曜日を好む=金正日委員長が生前に実施した1回目と2回目の核実験の日は2006年10月9日と2009年5月25日でどちらも月曜日だ。しかし金正恩は火曜日(3回目・2012年2月12日)、水曜日(4回目・2016年1月6日)、金曜日(5回目・2016年9月9日)、日曜日(6回目)だった。北東アジア平和協力院のチョン・ヒョンジュン院長は、「金正日の時は核開発をしながらも米国との交渉を念頭に置く様子だった。米国の対応力が弱い時間帯である日曜日夜を選ぶことで衝撃を最大化しようとする政治的意味が込められている」と分析した。だが金正恩は金正日の時とは違い、政治よりは技術的な内部準備状況に焦点を置いたと指摘される。

(3)ミサイル+核実験パッケージは相似形=北朝鮮は1回目の核実験の3カ月前の2006年7月5日に長距離ミサイルのテポドン2号を撃った。2回目の核実験(2009年5月25日)から1カ月ほど前の4月5日には衛星打ち上げ用とし長距離ロケット(光明星)を発射した。ミサイルと核実験を一緒にやる「パッケージ」挑発だ。金正恩もこのパターンに従った。2012年12月12日に光明星3号(長距離ロケット)を発射して2カ月ほど後に3回目の核実験を行ない、昨年1月には核実験をしてから1カ月後に長距離ロケットを撃った。仁済(インジェ)大学統一学部のチン・ヒグァン教授は「ミサイルは核弾頭の運搬手段であるため同時にテストしたとみられる」と話した。

5回目と6回目の核実験を前後して潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、ムスダン、ノドン、スカッドミサイル、火星-12・14型ミサイルなど多様なミサイルを発射している。金正日のミサイル試験が米国を攻撃できるという「威嚇用」であるなら、金正恩は多様なミサイルに核弾頭を装備できるという多種化能力を誇示している姿だ。

◇ジュネーブ北大使「米国に追加の贈り物」威嚇=一方、北朝鮮ジュネーブ代表部のハン・デソン大使はこの日スイスのジュネーブで開かれた国連軍縮会議で「最近の防衛レベルの措置(核実験)は米国に与える贈り物。米国が継続して無慈悲な圧迫を行使すれば追加で贈り物を贈る」と主張した。対北朝鮮制裁をする場合の追加挑発に向けた名分を積むものという分析が出ている。

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    2017.09.06 10:35
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    生前の金正日と金正恩父子(写真=中央フォト)
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