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【時論】憤怒中毒に陥らないようにしよう=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.23 09:23
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憤怒が扱いにくい理由のひとつは、それが私たちの内面で起き、時には私たち自身の姿に偽装して人をたびたび憤怒中毒に陥らせるためだ。中毒は強迫になってしまった習慣で、中毒に陥った人はそれを統制することはできない。そのため憤怒中毒に陥れば憤怒が主人になり、憤怒する人はゾンビのようになる。中毒になった憤怒は私たちの心身に習慣またはひとつの精神的遺伝子になって合理的行為を妨害する。

憤怒中毒を防ぐには政治家ほどにメディアの役割が重要だ。「戒厳令を宣言せよ」とか「○○○を処刑せよ」というスローガンはもちろん非正常だ。だが悪口が込められた18ウォンの送金や「バカ言ってんじゃないよ」という悪口もやはりいくら痛快に見えても例外であり正常ではない。政治家やメディアが後者を正常扱いすれば市民は扇動されてまね、さらに強い呪いと悪口を浴びせるだろう。「バカ言ってんじゃないよ」と「処刑せよ」はいとこ同士だ。このすべての悪口と呪いは致命的ウイルスのように国全体に伝染させ共同体精神を殺してしまうだろう。

 
憤怒も愛のようにやりとりすることだ。私たちが彼らに怒れば彼らも私たちに怒るものだ。憤怒はやりとりして激しくなる。大統領の裸体風刺画をめぐり生まれた憤怒と攻撃は、憤怒と侮辱に対して報復したケースだ。憤怒交換が日常になった市民、敵意を胸に抱いた政治家、扇情主義に陥った報道機関,この3つの間に無言の三角体制が形成されれば私たちの社会全体が憤怒中毒の奈落に落ちるのは時間の問題だ。韓国に公議が蜜のように流れるようにしたいのか? それならあの三角体制を解体して社会的愛情(social affection)を広めなければならない。それでこそ私たちと彼らの中に内在した憤怒のエネルギーを改革エネルギーに転換し、安全に再配置することができる。憤怒の臣下になってゾンビのように動く人はすでに主権者ではない。

弾劾の賛否をめぐりろうそくと向かい火が激しくぶつかる。ダライ・ラマのように互いに「敵」を許せといえば骨なしだとののしるだろう。そうだ。私たちはすでに憤怒で立ち上がった。憤怒が「私」の性向、歴史的遺産、社会的構成の合同作品であることを悟り情操的に成熟して憤怒中毒には陥らないようにしよう。国の公議は結局私たちとあの人たちがともに成し遂げなければならないためだ。

ホ・ウソン慶熙(キョンヒ)大学哲学科教授


【時論】憤怒中毒に陥らないようにしよう=韓国(1)

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