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【社説】復活祭が2017年の韓国に与えるメッセージ(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2017.04.16 13:06
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きょうは復活祭だ。復活は「神国」(神が直接治める国)とともにカトリック、プロテスタント、正教会、聖公会などキリスト教信仰の核心だが、キリスト教徒すら信じるのが難しいのが復活だ。今日の相当数の進歩的なキリスト教徒は「信じても奇跡・復活のような非科学的なことは除いて信じよう」と主張する。初代キリスト教会でも似た主張があった。

使徒パウロは『コリントの信徒への手紙一』で「復活は信じられない」という人たちに向けこのように話した。「キリストが死んだ者の中から生き返られたということをわれわれは伝播しているが、みなさんの中である人は死者の復活はないと言うのはどうしたことですか」「もしキリストが生き返られなかったならみなさんの信仰は無駄なものです」。

 
パウロが堅く信じたイエスの復活は、「人はみんな死ぬ。ソクラテスは人だ。ソクラテスは死ぬ」という最も有名な三段論法の事例を無力化する。イエス復活を信じる人たちは次のように新たな論法を提示する。「イエスは復活した。イエスは人だ。人は永遠に生きられる」。

世俗・科学の観点からは荒唐無稽な主張だ。次のような形でイエス復活信仰に対する合理的な説明を展開することができる。「イエスを信じて従う人々は絶望の中で1日1日を生きていく人たちだった。彼らは『神が主権を持つ神国』を切実に所望した。イエスに彼らは巨大なビジョンを見た。彼らにイエスはイスラエルの栄光を復元する『第2のダビデ』だった。イエスが死ぬと彼らは絶望した。到底信じられなかったため『イエス様が復活されるならばどれだけ良いだろうか』という希望から『弟子のだれかの前に現れられたそうだ』という噂が生じたかもしれない。結局復活は事実になった」。

絶望から芽生えた希望を巨大な運動に転換したのはパウロだった。パウロはイエスが「第2のダビデ」でなく「第2のアダム」と主張した。人々はアダムのために永生を喪失し、イエスのおかげで永生を回復できるようになったという意味だ。パウロはイエスを信じる以前に復活を先に信じたパリサイ人だった。パウロにイエスは「死者の中で生き返って死んで復活した初めての人」だった。(中央SUNDAY第527号)


【社説】復活祭ꪂ2017年の韓国に与えるメッセージ(2)

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