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【コラム】ブラックリスト、古代宦官政治の遺物=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.29 15:03
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やや遅れたとはいえ、太宗は自身の誤りに気づいたからこそ帝国を建設することができたが、反省する術を知らない権力はいるものだ。彼らには歴史が墓に唾を吐いた。ブラックリストという英単語の語源を提供した英国国王のチャールズ2世がそうだ。チャールズ1世が清教徒革命で1649年に処刑されると、息子の彼がこれに介入した58人の判事や法定管理など要注意人物リストを作成したことがブラックリストの始まりだという。1660年の王政復古で即位した彼はこのうち30人を処刑して25人を終身刑に処した。報復政治を日常的に行っていたため「最悪の君主」という汚名を残すほかなかった。後任の弟ジェームズ2世は名誉革命で追放された。

米国でも「ハリウッド・テン」という文化系ブラックリストが悪名高い。1947年、下院非米活動委員会が証人として召喚したものの良心の自由を守るといって出席を拒否した10人がその対象だった。米国映画協会(MPAA)加盟会社の社長は彼らを解雇し今後も使わないと宣言した。

 
被害者は長らく苦痛を受け続けた。共産主義に関係したと言って、共産主義者たちにも劣らない人権蹂躪を行ったのだ。歴史はこれを米国の羞恥と考えている。被害者であるダルトン・トランボ(1905~76)は映画会社に久しく残る傑作『ローマの休日』(1953)のシナリオを書いたが、その名前を明かすことはできず、アカデミー賞も他人名義で受賞しなければならなかった。1960年『スパルタカス』『栄光への脱出』のシナリオを実名で発表してようやく解禁となった。その間、ブラックリストのせいで開くことなく散っていったつぼみがどれほど多かっただろうか。ブラックリストは文化芸術にそれこそ「ブラックリスク」をまねいた。

韓国でこのままブラックリストが続いていたらどんな被害があったかと考えるとめまいがする。権力は苦言よりも甘い賛辞を聞きたがる傾向がある。ブラックリストが陰に陽に、いつでも飛び出してきうるのはこのためだだ。これを防ぐためには国民とメディアが権力を常に監視するしかない。間近に迫る次の大統領選で初めてその力が試される。

チェ・インテク論説委員


【コラム】ブラックリスト、古代宦官궐治の遺物=韓国(1)

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