【コラム】ブラックリスト、古代宦官政治の遺物=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.29 15:03
やや遅れたとはいえ、太宗は自身の誤りに気づいたからこそ帝国を建設することができたが、反省する術を知らない権力はいるものだ。彼らには歴史が墓に唾を吐いた。ブラックリストという英単語の語源を提供した英国国王のチャールズ2世がそうだ。チャールズ1世が清教徒革命で1649年に処刑されると、息子の彼がこれに介入した58人の判事や法定管理など要注意人物リストを作成したことがブラックリストの始まりだという。1660年の王政復古で即位した彼はこのうち30人を処刑して25人を終身刑に処した。報復政治を日常的に行っていたため「最悪の君主」という汚名を残すほかなかった。後任の弟ジェームズ2世は名誉革命で追放された。
米国でも「ハリウッド・テン」という文化系ブラックリストが悪名高い。1947年、下院非米活動委員会が証人として召喚したものの良心の自由を守るといって出席を拒否した10人がその対象だった。米国映画協会(MPAA)加盟会社の社長は彼らを解雇し今後も使わないと宣言した。