日本サッカーの英雄になった李忠成、「私の姓はLEE」

日本サッカーの英雄になった李忠成、「私の姓はLEE」

2011年01月31日08時42分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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30日(日本時間)の豪州とのアジアカップ決勝戦で、延長接戦後半4分に左ボレーシュートで決勝ゴールを決めた李忠成。
  



  日本サッカー代表チームが30日(韓国時間)、カタール・ドーハで行われた豪州とのアジアカップ決勝戦で延長接戦の末に1対0で勝利し、通算4度目の優勝を達成した。延長戦後半4分に左ボレーシュートで決勝ゴールを決めた李忠成(26、広島)は日本の英雄に上り詰めた。

  李忠成。在日同胞4世の彼は、韓国取材陣と会うとすぐ、「韓国語が下手ですみません」と話した。それから日本語で「私は韓国人でも日本人でもなく、サッカー選手としてここにいるだけ」と話した。完全な韓国人にも日本人にもなることができなかった彼に、祖国は“サッカー”だけということだろうか。決勝ゴールを決めた彼は両手の親指で自身の背に刻まれた“Lee”を示した。イ・チュンソンは「りただなり」という名前の日本人になったが、韓国の姓の「李氏」を守った。

  幼少時に東京地域リーグで頭角を現わした彼の幼い時の夢は、胸に太極マークを付けることだった。2004年に機会が来た。アジアサッカー連盟(AFC)U-19(19才以下)選手権を準備する韓国U-19代表チームが坡州(パジュ)NFC(代表チーム訓練センター)に彼を呼んだ。だが韓国選手らの水準は高かった。当時U-19代表チームの攻撃ラインには朴主永(パク・ジュヨン、モナコ)、金昇竜(キム・スンヨン、ガンバ大阪)、辛泳録(シン・ヨンロク、済州)など有望株が並んでいた。何より韓国選手らの冷たい視線は克服しにくかった。韓国語をまともにできない彼は“いじめ”にあった。彼は昨年韓国の放送局とのインタビューで、「パンチョッパリ(韓国人が在日韓国人をさげすむ言葉)という言葉まで聞いた。ショックだった」と回想した。

  2006年、日本のオリンピック代表チームからラブコールが来た。日本チーム合流のために同年9月に帰化申請をした彼は、2007年2月に日本国籍を取得した。社会生活が不便で一時は「橋本忠成」という名前を使ったりもした彼は、帰化をしながら李氏の姓を守った。「朝鮮人」という差別にも韓国籍を守った祖父の墓の前で、「李氏の姓だけは最後まで守る」と約束したためだ。帰化申請の時は親戚らの反対がすごかった。だが、李忠成の母チョン・ユミさんは、「おまえの思いを貫け」として息子に力を与えた。

  2008年の北京五輪に出場した彼は、「私は在日同胞という自負心を抱いて走る。もう在日同胞という事実を隠す時代は過ぎた」として、自らを“新日本人”と呼んだ。2000年に朴康造(パク・カンジョ、神戸)が韓国代表として出場し、鄭大世(チョン・デセ、ボーフム)は2007年から北朝鮮のエースとして活躍している。在日同胞で日本代表になったのは李忠成が初めてだ。

  北京五輪でこれといった活躍がなかった彼は、2009年までスランプに陥った。だが、昨年後半にレギュラー選手らの負傷と不振を機会にサンフレッチェ広島のエースとして復活した。後半15試合で13ゴール(カップ大会含む)を決め、「2014年ワールドカップブラジル大会を準備する」というザッケローニ日本代表チーム監督に認められた。アジアカップでは決勝戦での交替出場以前までグループリーグ第1戦のヨルダンとの試合に交替で入ったのがすべてだった。だが、彼は自身のブログに「ベンチにいながらも“俺がヒーローになるんだ”と自分に言い聞かせた。みんなの想いを乗せたシュートだった」と書いて喜んだ。

  一方、李忠成は韓国で「シュガー」というグループで活動した歌手アユミの恋人だ。日本メディアは昨年初め、彼とアユミが交際中だと報道した。在日3世のアユミは2009年から日本で「ICONIQ」という芸名で活動している。

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