李完用は昌徳宮を日本に売り渡そうとした

李完用は昌徳宮を日本に売り渡そうとした

2003年08月17日16時56分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  親日派の巨頭、李完用(イ・ワンヨン、1858~1926)が1919年3月1日にあった3.1運動(抗日独立運動)の直後に「昌徳宮(チャンドックン、ソウル臥龍洞にある朝鮮時代の王宮)を日本皇室の離宮にするように」と、斎藤実朝鮮総督に2度も提案していたことが、新しく発掘された文書により分かった。日本近現代政治史の専門家、仁荷(インハ)大のパク・ファンム(49)講師は、日本国立公文書館に所蔵された植民支配時代の日本政府文書「公文雑纂」のうち「請願」の第25編から見つけたこの秘密文書を、最近公開した。

  「京城(ソウル)に離宮を設ける件」と題付けられたこの文書は、斎藤総督が1921年7月8日に当時の原敬首相あてに送ったもので、李完用が2回目に斎藤総督に申し立てた建議書の内容全文を日本語に訳して載せたものだ。

  この文書で、李完用は、新しい離宮を設けるためにはたくさんの費用が必要とされ、時間も長くかかるとの点を指摘したうえで、当時、徳寿宮(トクスグン、ソウル中区貞洞にある朝鮮時代の王宮)に居住していた純宗(スンジョン、朝鮮第27代王であり朝鮮時代最後の王)を父親の高宗(コジョン、朝鮮第26代王)が住んでいた昌徳宮に移らせる代わり、昌徳宮を離宮として改造することを提案している。

  パク氏は「高宗が住んでいた昌徳宮は、朝鮮(チョソン)の象徴的な政治空間であることから、ここが離宮になるというのは朝鮮が日本に完全に編入されたことを示すしるしになる」とし「李完用は高宗が崩御した後、即時昌徳宮を離宮にするようにと、総督に提案することで、自身の日本への変わらない忠誠心をアピールしようとしたもの」と説明した。

  この文書は、李完用のこうした要請について斎藤総督が「昌徳宮を離宮に転用したいとの意見は、問題を引き起こす恐れがあるものと思料される」とし、ソウル獎忠洞(ジャンチュンドン)にあった統監官邸を改造し離宮として使おうとしたことを、伝えている。
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