親日派の巨頭、李完用(イ・ワンヨン、1858~1926)が1919年3月1日にあった3.1運動(抗日独立運動)の直後に「昌徳宮(チャンドックン、ソウル臥龍洞にある朝鮮時代の王宮)を日本皇室の離宮にするように」と、斎藤実朝鮮総督に2度も提案していたことが、新しく発掘された文書により分かった。日本近現代政治史の専門家、仁荷(インハ)大のパク・ファンム(49)講師は、日本国立公文書館に所蔵された植民支配時代の日本政府文書「公文雑纂」のうち「請願」の第25編から見つけたこの秘密文書を、最近公開した。
「京城(ソウル)に離宮を設ける件」と題付けられたこの文書は、斎藤総督が1921年7月8日に当時の原敬首相あてに送ったもので、李完用が2回目に斎藤総督に申し立てた建議書の内容全文を日本語に訳して載せたものだ。