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日本に持ち出された慶北文化財、追跡33年(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.27 14:28
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◆「石窟庵資料の放置」に衝撃

光復(解放)後、大邱地域の日本人の遺物収集家たちはそれまで収集したものを大邱府尹(大邱市長)に献納した。米軍政が搬出を禁じる命令を下したためだ。大邱市は47年、達城(タルソン)公園に市立博物館を作ってこれらの遺物を展示した。問題は、韓国戦争後の混乱した時期に生じた。ここにあった貴重な遺物の相当数が公務員の管理不良によって外部に売られた。2000点を超える遺物は1312点に減った。当時の新聞に何度も報道された事実だ。市立博物館の遺物は57年、慶北大学に移管された。

 
この本はまた仏国寺(プルグクサ)の多宝塔の石獅子の流出経緯や、安東(アンドン)の廣興寺(クァンホサ)の『月印釈譜(ウォリンソクボ)』の消失原因など仏教文化財の受難史も含んでいる。

チョン氏は2年がかりでこうした膨大な本を出したのは、それだけの思いがあった。大学で西洋画を勉強した彼が文化財探しにはまってから今年で33年目。大学卒業直後に聞いたある講演がきっかけだった。慶州の石窟庵(ソックラム)は日帝強制占領期間に修理を誤って60年代初めに修復作業が始まった。故ファン・スヨン博士が現場を指揮した。ファン博士は工事現場のトイレに立ち寄って「石窟重修上棟文」の表札板を偶然に発見した。石窟庵をいつ重修したのか記録した資料が、簡易トイレの壁版に化けていたのだ。「その話に大きな衝撃を受けました。その時から資料を収集して流出文化財の問題に目覚めました」。

◆日本の学者の記録も探す

チョン氏はこれまで古本屋や図書館で資料を収集した。図書館では『皇城新聞』『対韓毎日新報』などの新聞や北朝鮮版『朝鮮王朝実録』などを読んだ。見識が増える中で、今は日本の学者の関連記録も探している。

彼は2005年から『私たちの文化財受難史』『石造文化財その受難の歴史』など搬出文化財の関連力作を相次いで出した。

国外に搬出された文化財は、所在が確認されても還収の実績はわずかだ。対日請求権を放棄した65年の韓日協定が一役を買っているということだ。民間レベルでの文化財探しの運動が切実な理由だ。チョン氏はそれで、日本に搬出された文化財の違法性を明らかにすることに力を注いでいる。


日本に持ち出された慶北文化財、追跡33年(1)

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