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【社説】踏みにじられた子どもの生命、私たちは何をしてきたのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.12 12:55
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児童虐待は自分を保護する力がない子どもを対象にした一方的な暴力だ。その点でどの犯罪よりも悪性といえる。子どもに治癒が難しい肉体的・精神的な傷を残し、さらに命まで失わせる。その間、「訓育のための体罰」という名分で行われてきた家庭内の児童虐待に対し、果たして我々は真摯に努力してきたのか省みる必要がある。

社会に大きな衝撃を与えた2件の児童虐待死亡事件に対し、昨日、一審の判決が出た。大邱地裁は昨年8月に慶尚北道漆谷で娘を暴行して死なせた容疑(傷害致死など)で拘束、起訴された継母(36)に懲役10年を言い渡した。また死亡した娘を虐待した容疑で在宅起訴された父親(38)に対しては懲役3年を言い渡した。これに先立ち検察は継母に懲役20年を、父親には懲役7年をそれぞれ求刑した。また蔚山地裁は娘を暴行して死なせた容疑で拘束、起訴された継母(40)に傷害致死罪を適用し、懲役15年を言い渡した。検察は殺人罪を適用し、死刑を求刑した。

 
両地裁が「児童虐待は厳重に処罰されるべき」という点を強調したが、事案の性格を勘案すると、実際の量刑は国民の感情とかけ離れたものだ。漆谷事件の継母は8歳の娘に虐待を続け、娘が死亡すると12歳の姉の犯行にしようとした。蔚山事件の継母は「遠足に行きたい」という娘に暴行し、肋骨14本を骨折させ、肺に刺さって死なせた。量刑について多くの国民は「軽すぎる」と受け止めている。児童虐待を根絶するためにもより厳しく処罰すべきという期待と距離があるのが事実だ。控訴審で処罰の程度に対する再検討がなければならない。児童虐待死亡に対して殺人罪を認め、無期懲役刑を言い渡す米国や英国の事例も検討する必要がある。

また、政府が児童虐待事件が発生する度にその場だけの対策を出して済ませる態度を繰り返してきたという点を指摘するしかない。2012年から虐待申告義務制を強化するとしたが、制度施行後に申告義務を履行せず過怠金が科された事例は1件にすぎない。また、蔚山事件をきっかけに昨年末、国会が児童福祉法改正案などを議決したが、施行に必要な予算が編成されなかった。今回も政府とセヌリ党が児童虐待と福祉死角地帯を解消するため福祉公務員5000人を増員することにしたが、実践されるかどうか疑問だ。

過去12年間に虐待で死亡した児童は97人にのぼる。公式統計に反映されなかった被害者ははるかに多いだろう。このような悲劇が再発しないよう、大人が怒りとともに責任感を痛感する必要がある。最も弱い子どもの基本人権さえ保障できない社会がなぜ存在しなければならないのか。「児童福祉法は子どもの血を食べて生きる」という言葉ほど恐ろしい現実はない。

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