【コラム】金大中元大統領夫人の訪朝が楽しいものになるためには(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.05 15:17
金大中(キム・デジュン)元大統領は退任後、平壌(ピョンヤン)訪問を推進した。初の南北首脳会談の相手である金正日(キム・ジョンイル)総書記と再会することを望んだ。6・15共同宣言で「早期の答礼訪問」を文書で約束しながらも、金正日総書記が先延ばしすると、再訪朝を決心した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権当時の2006年5月、金剛山(クムガンサン)で実務協議が開かれた。東橋洞(トンギョドン)側(金大中側)からは丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官が、北側からは李種革(イ・ジョンヒョク)アジア太平洋平和委員会副委員長が出席した。
しかし最初から突出変数が発生した。北朝鮮が金大中元大統領に「金日成(キム・イルソン)主席弔問」を要求してきたのだ。丁元長官は「要求に応じれば金大中元大統領はもちろん6・15勢力すべてが国民の非難世論を受けることになる」と述べた。結局、北朝鮮は雰囲気を壊し、東橋洞側は記者会見で「テポドン2号ミサイル発射の兆候など情勢問題で訪朝が難しくなった」と明らかにした。弔問を云々したことは秘密にした。先日記者と会った丁元長官は「弔問要求のためだと明らかにしにくく、他の理由を出すしかなかった」と打ち明けた。
これに先立ち首脳会談の準備の秘密接触で、北側は金日成主席の遺体がミイラ形態で保管されている平壌錦繍山(クムスサン)記念宮殿(現在は錦繍山太陽宮殿に改称)訪問を主張した。密使役を務めた当時の林東源(イム・ドンウォン)国家情報院長は「絶対にできない」と拒否し続けた。首脳会談の開催が一日遅れる状況となった。夕食会場で金正日総書記は林院長の耳元で「弔問問題はもう心配しなくてもよい」と語った。しかし6年後、金大中元大統領に弔問カードはまた取り出した。