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北朝鮮の歴史は血の粛清史…公開銃殺、無条件服従を誘導(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.05 11:19
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1968年1月の青瓦台(チョンワデ、大統領府)奇襲、同年10月の武装共産軍南派などが失敗すると、当時の民族保衛相(現人民武力部長)の金昌奉(キム・チャンボン)と許鳳鶴(ホ・ボンハク)総政治局長ら軍部の要人を左傾・盲従主義者として除去したのが代表例だ。

チン・ヒグァン仁済大教授(統一学)は「日帝時代に中国とソ連で活動した金日成は、解放後に北に入り、反対勢力を一つずつ除去した」とし「北の政権は血の粛清の歴史と言っても過言でない」と述べた。

 
70年代初期に後継者として定着した金正日はこれをそのまま引き継いだ。金日成3回忌が終わった97年末、徐寛煕(ソ・グァンヒ)党農業担当書記を間諜罪で公開処刑したのをはじめ、手綱を本格的に締め始めた。水害などの自然災害で食糧生産量が急減し、200万-300万人が餓死する、いわゆる「苦難の行軍」の責任を徐寛煕に問うたのだ。非社会主義要素検閲作業を担当する、いわゆる「深化組」を結成し、約2000人を粛清したりもした。

後継者としての地位を固めた75年にはライバル関係にあった叔父の金英柱(キム・ヨンジュ)組織指導部長(金日成の弟)まで粛清した。当時、崔竜海(チェ・ヨンヘ)金日成社会主義青年同盟第1書記(現総政治局長)も巨額の外貨保有など不正事実が明らかになり、地方に左遷されたりもした。

今回の張成沢側近の公開処刑に関しては、執権序盤の金正恩体制の強化と関係があるというのが政府当局者の説明だ。この当局者は「過去には左遷程度に終わったことも、最近は処罰の程度を高め、厳格かつ断固たる処罰をしている」と話した。金正恩側とされた李英鎬総参謀長が昨年7月に個人の不正容疑で粛清されたのも同じ脈絡とみられる。

ただ、張成沢や李英鎬はその身分や地位を考慮し、当事者の代わりに側近を極刑に処する形で無力化している様相だ。


北朝鮮の歴史は血の粛清史…公開銃殺、無条件服従を誘導(1)

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