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【庚戌国恥100年企画】亡国の根を探して<植民統治に反対した日本人>(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.09.15 16:43
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日本は1905年の日露戦争で勝利した後、朝鮮と乙巳勒約(乙巳条約)を強制的に結んで外交権を強奪するなど、朝鮮植民地化を具体化した。 日本社会はお祭りムードに染まっていたが、一部の社会主義者は帝国主義反対理念を根拠に朝鮮侵略に反対した。

 
言論人・弁護士として活動した木下尚江(1869-1937)は乙巳勒約締結の直前、新聞に「朝鮮は結局、独立国になれないまま、ただ地理の本でのみ存在することになった」という文を載せて日本の侵略を批判した。 社会主義者だった幸徳秋水(1871-1911)も1907年、新聞に「朝鮮人民の自由独立を認めろ」という声明を発表した。 内村鑑三(1861-1930)らキリスト教関係者の間でも朝鮮侵略に反対する動きが起きた。 内村は1910年、「自国の領土を拡張し、全世界を自分のものにしても、霊魂を失えば何の意味もない」と書いた。

強制併合後、日本政府の弾圧と日本人の朝鮮搾取はさらに激しくなった。 社会主義性向の弁護士、布施辰治(1880-1953)は1910年代、「韓国の独立運動に敬意を表す」と述べ、検察の調査を受けた。 布施は日帝時代に朝鮮人の人権と独立運動家を弁論した代表的な弁護士だった。 2004年に日本人では初めて韓国政府から建国勲章を受けた布施辰治の一代記を描いた映画が、今年、日本で制作され、東京で上映中だ。 明治天皇が死去した後、大正(1912-26)の時代が開かれ、日本社会に民本主義の風が吹くと、東京大学教授だった吉野作造(1878-1933)のように、日本の過酷な朝鮮同化主義政策を批判して朝鮮の独立運動に共感する学者らが現れた。

政治家の石橋湛山(1884-1973)は政治的な観点で「大日本主義」を批判しながら、他国と協力して発展する「小日本主義」を強調した。 石橋は1921年、東洋経済新報社に「朝鮮と台湾に自由を与えろ。 東洋と世界の弱小国全体をわれわれの支持者にすればどれほど大きな利益か」と書いた。

こうした人たちは少数にすぎず、1930年代に入って軍国主義勢力が執権して委縮したものの、日本社会の良心的な砦だった。 特に木下尚江が強制併合の直後、日本が帝国主義という大洪水に巻き込まれて取り返しがつかない結果を生むはずだと警告したように、日帝時代の予言者でもあった。 彼らの精神は今でも市民運動などを通して受け継がれている。


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    2010.09.15 16:43
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