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【コラム】誤報は正すのが勇気だ=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.06.27 16:33
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2003年のニューヨーク・タイムズのジェイソン・ブレア記者による記事操作・盗作事件の時は、編集者と編集局長が退き28人の内部・外部の専門家が参加して報告書を出した。1980年のワシントンポストのジャネット・クック記者による「ジミーの世界」ねつ造事件の時は5面にわたって詳しく謝罪し経緯を明らかにした。意図しようがしまいが、事実と違うように報道したとすれば正すのが勇気だ。

問題は意図的、あるいは誤読による誤った編集だけではない。ほとんどが直接聴いて理解しようとする努力の代わりに、ほかのメディアの報道を引用することに汲々としていた。事実確認の努力を放棄したSNSが世論の振舞いをするのも問題だ。さらにSNSの引用回数を正しいか正しくないかの判断基準として利用し、政策決定者が従うべき基準のように主張するメディアも多数あった。

 
理性的な判断を防ぐもう1つの壁は、陣営論理だ。保守にしても進歩にしても同じだ。対決が広がれば理性を失ってしまう。BSE(牛海綿状脳症)騒動や盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の北方限界線(NLL)放棄発言論争も似たような過程を経た。あるネットユーザーは「NLLの時は単語に固執していたのに、今はなぜ文脈を見ろというのか」と問い詰めた。だが、その時も私はコラムで「NLLの放棄ではない」(「盧武鉉の商売人話法」)と指摘した。どちらか二分することになじんでいる彼らは理解できないという反応だった。陣営論理に陥れば、真実を見ることができないからだ。

SNSが活性化して以降、韓国社会は1回ずついじめ遊びに陥っている。完全な人も悪い人にしてしまう。鄭首相を留任させたのも、議論された首相候補ごとに手を横に振ったからだという。過ちがなくても文候補のような目にあう恐れがあるという心配だ。国家大事業までも、このような形で決定されるのは深刻な問題だ。

すでに文候補は離れた。もう政治論理は取り払おう。落ち着いて、言論自ら真実を見回す機会を持たなければならない。満身瘡痍になったジャーナリズムを生かしておこうとするならば。

キム・ジングク論説委員


【コラム】誤報は正すのが勇気だ=韓国(1)

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