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【寄稿】残念な釜山映画祭議論(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.02.16 10:45
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このような脈絡で、映画祭で表現の自由を保障することは決して譲歩できない基本原則だ。釜山映画祭を通じて多様な人々と友人になりながら、私たちは共に映画を観て討論して質問をする。「どんな映画を観るのか、なぜこの映画を上映するのか、誰がこの作品を選定し、どんな理由で選定したのか」といった質問のことだ。映画祭はそれぞれ独特で異なるアイデンティティを持つ。映画祭で上映される作品などを観て観客だけでなく海外でもその映画祭の特徴とアイデンティティを理解できることになる。かと言って、映画祭で上映するすべての映画が良い映画という話ではない。たびたび興味深い芸術的再起を見せる映画が紹介されたり、文化・政治・歴史的事件を特定の視点から眺める映画を紹介したりもする。映画を観ることは、まさに世界を見ることだ。組織や選定の責任を負うプログラマーのビジョンを制限すれば、映画祭のビジョンと発展もやはり制限せざるを得ない。昨年、釜山での意義ある経験は私にとって映画はもちろん、世界で映画が占める位置づけに対する認識を拡張させた。このような認識の拡張こそ映画祭がプレゼントできる役割だと考え、その思い出は一生忘れることができないだろう。

組織の雰囲気と特徴を作るにあたってリーダーの役割は何よりも重要だ。映画祭においてリーダーの役割は申し分なく重要だ。このような理由でイ・ヨングァン執行委員長の位置づけが危険になるのは非常に心配だ。筆者をはじめ数多くの海外の映画関係者はイ委員長のリーダーシップが、興がわいて多彩な釜山国際映画祭の現在を作ったということをよく知っている。また釜山映画祭のために誰よりも多くの悩みと情熱、知恵、推し量ることのできない人情と愛情を持って自身の役割をしてきているということもよく知っている。そのほかにもプログラマー・スタッフ・ボランティアメンバーに至るまで映画祭のために努めている数多くの人々に会いながら、釜山映画祭が持つ特別で生き生きとしたエネルギーを感じることができた。驚くほど成長した釜山国際映画祭のために努力と献身を受け継いできたイ委員長はふさわしい評価を受けるべきだ。

 
Stephanie Zacharek『タイム』首席評論家(中央SUNSDAY第466号)


【寄稿】残念な釜山映画祭議論(1)

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