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韓国にハマった日本人「アリランを恨の中に閉じ込めないで」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.10.15 13:42
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「アリランを恨(ハン)のイメージの中に閉じ込めないでほしいと思います」

千葉県柏市立柏高校音楽教諭の石田修一氏(65)の声は凛としていた。12~14日にソウル光化門(クァンファムン)広場で開かれた「ソウルアリランフェスティバル」で、第4回ソウルアリラン賞を受賞した石田氏は「アリランには恨だけが込められているのではなく、力がある。明日に向かった希望と力強い歩み、強い意志などが溶け込んでいる作品だ。『アリラン=恨』という固定観念から抜け出してほしい」と話した。

 
石田氏が受賞したソウルアリラン賞は、アリランのグローバル化と創造的価値の拡散に寄与した個人・団体に授与されるもので、2015年ソウルアリランフェスティバル組織委員会が制定した。アリランを初めて五線紙に採譜して世界に知らせたホマー・ハルバート博士(1863~1949)と、映画『アリラン』の羅雲奎(ナ・ウンギュ)監督(1902~1937年)、演劇『アリラン峠』を通じて民族意識を鼓吹した劇作家兼演出家の朴勝喜(パク・スンヒ、1901~1964)ら、すでに他界した芸術家が歴代の受賞者だ。存命中の人物として初めてソウルアリラン賞を受賞した石田氏は「アリランが好きで始めた活動によって賞までいただけることになり非常に光栄」と感想を明らかにした。

石田氏は柏高校吹奏楽部の音楽総監督を務めながら指導し、2001年から1000余回のアリラン公演を行った。従来の吹奏楽演奏にチャング(太鼓)・テピョンソ(管楽器)・ケンガリ(金属製打楽器)・プチェチュム(扇の舞)・サンモチュム(群舞)などを使った国楽パフォーマンスを加味して中国・シンガポール・ベトナムなどで海外公演も行った。

石田氏とアリランの出会いは2001年に遡る。韓国観光中、ソウルのある韓定食レストランで、偶然、アリランの公演を見た。石田氏は「飲食店の舞台で一人の女性がサムルノリの伴奏に合わせてパンソリ唱法でアリランを歌っていた。素晴らしい音楽だった。魂が揺さぶられ、心臓がぎゅっとつかまれたような気がした」と話した。その後、時間ができると韓国を訪れ、国立劇場や民俗村などを回りながらアリランの公演を見た。

「最初は月に一度の頻度で韓国に来た。ピアニストのイム・ドンチャン先生を訪ねてアリラン唱法も学んだ」と紹介した。石田氏は自分が学んだアリランを演奏団員150人、合唱団員100人の吹奏楽部の生徒たちに教えた。柏高校吹奏楽部のアリランのレパートリーは全3種類だ。米国の作曲家、ジョン・バーンズ・チャンスの『朝鮮民謡の主題による変奏曲(Variations on a Korean Folk Song)』、在日同胞作曲家コ・チャンスの『アリランと赤とんぼ』、石田氏が作曲家の真島俊夫氏に依頼して作ったボサノバ調のアリランなどだ。石田氏は「アリラン公演を行うたびに観客の反応がすごい。柏高校吹奏楽部の公演を聞いた後、『朝鮮民謡の主題による変奏曲』を演奏する学校が増えた」と伝えた。

石田氏は「日本で、私に『なぜこれほどアリランに熱心なのか』と聞く人々が多い」と言う。石田氏は「質問を受けるたびに、『アリランはベートーベン交響曲第9番の『歓喜の歌』のような音楽』と答えている」と話した。それとともに「もしかしたらそれ以上かもしれない。ベートーベンの『歓喜の歌』はベートーベンが1人で作った曲だが、アリランは韓半島(朝鮮半島)の数多くの人々が世代から世代へと受け継ぎ、歌で伝承しながら作った音楽ではないか」とした。

石田氏が見るアリランの未来は希望的だ。石田氏は「アリランがベートーベン交響曲同様、世界で広く演奏されるような曲になりえる」とし「平和・安息のイメージや躍動性など、アリランの新しい要素をずっと発掘して切り開き、世界に伝わっていくことを願う」と話した。

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    2018.10.15 13:42
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    「アリランを世界に広く伝えるべき」と話す日本の音楽家、石田修一氏。
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