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90歳で死去した慰安婦被害者「日本の謝罪、必ず受けなければ」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.27 10:25
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26日、ソウルの梨大木洞(イデモクトン)病院の葬儀場は静かだった。入口には政官界の著名人の花輪が並んでいた。大統領朴槿恵(パク・クネ)、セヌリ党代表黄祐呂(ファン・ウヨ)、民主党代表キム・ハンギル…。

日本軍の慰安婦被害者ファン・クムジャさんがこの日、土に帰った。90歳。夕方になると葬儀場はかなりの人で込み合ったがファンさんの血縁者はいなかった。夜遅くまで葬儀場を守ったのは祈りを捧げる聖堂の信徒と社会福祉士ら十数人だけだった。 ファンさんの90年にわたる一生は、まるで金魚鉢の中のように沈黙と苦痛の時間だった。幼い少女だった13歳の時だった。道すがら日本の巡査に捕まって、故郷の咸鏡南道興南(ハムギョンナムド・フンナム)のガラス工場に連れられていった。3年後には間島(カンド)地方に移されていった。その時から日本軍の汚い虐待に耐えなければならなかった。解放後、故郷に戻ることができなくてソウルへと1人で向かった。

 
おばあさんは結婚もできないまま、死ぬまで1人で生きた。友だちもいなかった。 慰安婦の被害後遺症で長く対人恐怖症を患っていたからだ。

ファンさんと唯一親しかった人がいた。 ソウル江西区(カンソグ)の社会福祉士キム・ジョンファンさん(49)。ファンさんはキムさんを「息子」と呼んでいた。言ってみればキムさんはファンさんの養子であり友人のような存在であった。2人が初めて出会ったのは2002年だった。当時おばあさんは病状が悪化して幻聴・幻覚に苦しめられていた。ファンさんが暮らしていた江西区登村(トゥンチョン)3洞の賃貸アパートそばには麻浦(マポ)高等学校があった。ファンさんは制服を着た高校生を日本軍と勘違いして区庁・住民センターなどに申告した。「公務員両班(ヤンバン)、日本軍が暴れている。 早く捕まえて」。

その時、ファンさんの話に耳を傾けたのがキムさんだった。おばあさんは色々訴えるためにキムさんの勤めていた住民センターに毎日出勤したようなものだ。ファンさんの話は、前後のつじつまは合わなかったが必ず言う言葉があった。

「日本から必ず謝罪を受けなければならない」。


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    90歳で死去した慰安婦被害者「日本の謝罪、必ず受けなければ」(1)

    2014.01.27 10:25
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    26日に亡くなったファン・クムジャさんは、10坪ほどの賃貸アパートで暮らしながら空きビンや廃紙を集めて売ったお金1億ウォンを奨学金としてソウル江西(カンソ)区庁に寄付した。写真は4000万ウォンを寄付した2006年当時のファンさん生前の姿だ。節約が身についたファンさんは、片側のガスレンジをわざわざテープでふさいで使わなかった。家の蛍光灯は夜も1つだけつけていたという。 (写真=江西庁)
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