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【時論】平昌五輪の「冬物語」が残した宿題(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.27 13:25
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南北合同チームの構成をはじめ、団体追い抜きへと続いた公正性に対する声も、今回のオリンピックが残した意味であり課題だ。これを単なる若者世代の統一に対する変化した感受性、あるいは「88万ウォン世代」の剥奪感の表現という程度で限定してはいけない。

世代論は複合的で重層的な問題を単純化させる。その結果、論点が薄れて政派的に変質する。世代論は水面上だけを見た社会的現象だ。水面下にはジェネレーションギャップどころではない、韓国社会が抱える数多くの矛盾と葛藤が絡まっている。それは、この社会のあらゆる分野・あらゆる世代に広がっている恐怖と差別の記憶だ。日常的な生活を脅かすような恐怖、その上に残忍に覆いかぶさる多種多様な差別、これは決して若者世代だけの問題ではない。団体追い抜き論争で大きくなった公正性イシューは、恐怖と差別のクロニクルを通過しているほぼすべての世代のある恐ろしい記憶が一瞬で吹き出したものだ。

 
ぬかるみに陥った足をどのように抜いて動かすか。雪と氷の上で繰り広げられた美しい競技を通じて、どのように生きていくべきなのか、どんな社会を作っていくべきなのかを確認した。しかし、祭りはより素晴らしい未来を予感させるだけで未来そのものを作ることはしない。物事の真理を追及していく実践が必要だ。

スポーツから喜びを感じたのであれば、そのスポーツに内在する悪習慣から解決していかなくてはならない。沈錫希(シム・ソクヒ)選手の暴行被害、氷上連盟の釈然としない決定と派閥問題、一部の政治家の古い慣習、大韓体育会の傲慢な態度はこれ以上再演されるべきではない。平昌発ニュースのためにしばらく忘れていたが、「100人の女性体育人会」は幼少年から実業、代表チームにまで蔓延している体育界の性的暴力問題を調査して処罰してほしいと叫んでいる。約束や誓いではなく、調査と処罰が必要だ。制度改革は言わずもがなだ。

平昌から喜びを感じたのであれば、選手から感動を受けたのなら、今からは計算をしなければならない。江原道民の暮らしを応援しなければならない。選手の人権と未来が保護され、保障されなければならない。その可能性が少しでも開かれた時、スポーツだけでなく韓国社会全体がぬかるみから抜け出し、もう少し安全で平和な、新しい地平に両足を力強く踏み出すことができるようになったと言えるだろう。

チョン・ユンス/聖公会(ソンゴンフェ)大学教授・スポーツ評論家

◆外部者執筆のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。


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