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韓国観光客襲撃で10年間中断された金剛山観光…再開なるか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.07.10 14:39
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2008年7月11日午前5時ごろ、「タンッ」という音とともに北朝鮮チャンジョン港付近のキーセン岩と海水浴場の中間地点で金剛山(クムガンサン)観光客パク・ワンジャさん(当時53・女・ソウル)が北側哨兵の銃撃を受けて亡くなった。

韓国政府は翌12日から金剛山観光を全面中断した。その後10年間、金剛山観光地区にはたった1人の一般人観光客も足を踏み入れることができなくなった。

 
だが、2018平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)に北朝鮮選手団が参加してから、4月27日に続き5月26日の2度にわたる南北首脳会談、先月12日米朝首脳会談まで開かれるなど、南北関係に薫風が吹きながら雰囲気が変わった。

金剛山観光再開の可能性に高城(コソン)住民の期待はかつてないほど高まっている。

東海(トンへ、日本名・日本海)岸最北端の村である高城郡県県内面明波里(ヒョンネミョン・ミョンパリ)で食堂を経営しているイ・ギョンエさん(58)は「いつかは(金剛山観光が)再開されるだろうという希望で営業を続けている」とし「金剛山観光が再開されれば、観光客で混みあった以前の村の姿を少しでも取り戻すことができるだろう」と話した。

明波里村は2003年9月に金剛山陸路観光が始まりながら好況に沸いた。初年度4カ月間で3万6705人が訪れるなど、毎年23~34万人の観光客が村を経ていった。

テーブルが14台のイさんの食堂は、金剛山観光が最盛期だった2008年までは行列ができるほど混み合った。だが、パク・ワンジャさん襲撃死亡事件以降、観光客の足がぷっつり途切れ、客は1日2~3組に減った。

村の道路周辺にあった食堂6カ所は、金剛山観光中断の長期化によって一つ二つ廃業していき、現在は2カ所だけしか残っていない。住民は金剛山観光が再開されれば金剛山観光客はもちろん、安保観光地を訪れる観光客も大きく増えると見込んでいる。

パク・ワンジャさん襲撃死亡事件発生前の2004~2007年、高城郡を訪れていた観光客数は平均690万人だった。だが、事件が発生した年の2008年には369万人まで減るなど、事件発生前と比べて100~300万人の観光客が減少した。

明波里のチャン・ソッグォン里長(63)は「金剛山観光が再開されれば、一般観光客の足も増加することが見込まれるだけに、境界地域付近の軍事規制を解いて交通網なども改善しなければならない」と述べた。

金剛山観光中断で厳しい経営を強いられていた宿泊業者も大きな期待を表現した。1997年にオープンした金剛山コンドミニアムの場合、金剛山観光が活発だったときには客室220室が満室だった。

だが、金剛山観光中断以降、シーズンを除いては客室の70~80%が空室だ。観光客で込み合っていた近隣の大津港(テジンハン)も今は廃業した飲食店を簡単に目にすることができる。

高城郡によると、2008年金剛山観光中断以降、2012年までの5年間で休廃業した業者は386カ所に達する。郡が把握している経済的損失だけで3300億ウォン(約329億円)にのぼる。

金剛山コンドミニアムのパク・ヨンソク運営チーム課長(44)は「離散家族の対面や開城(ケソン)工業団地などがうまく解決すれば自然に金剛山観光も再開されると考えている」とし「金剛山観光が以前のように活性化すれば、飲食店、宿泊施設、旅行会社など高城地域商圏全体が息を吹き返すだろう」と話した。

金剛山観光再開に対する期待が大きくなると、現代峨山(ヒョンデアサン)も高城事務所の業務正常化

に向けた準備作業に着手した。高城事務所は今年8月に金剛山で開かれる予定の離散家族対面団の出入境と施設管理のために先月から本格的な業務に入った。今月4~5日には職員4人も新たに採用した。

チェ・ジョンイン所長は「金剛山観光の再開は国際社会の対北朝鮮制裁解除によってその時期が決まるものと思われる」とし「金剛山観光再開が確実視されれば、金剛山観光客の集結地である花津浦(ファジンポ)峨山サービスエリアの施設に対する改補修作業も進める考え」と話した。

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    韓国観光客襲撃で10年間中断された金剛山観光…再開なるか

    2018.07.10 14:39
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    金剛山観光が中断されて以降、廃虚と化した東海岸最北端、江原道高城郡県内面明波里(カンウォンド・コソングン・ヒョンネミョン・ミョンパリ)にある村の様子。
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