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【コラム】<韓国人はなぜ>韓国を捨てろ?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.02 09:19
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「先生が何を知っているというのか」

日本の「テニス王子」錦織圭選手の成功要因を分析した米国時事週刊誌タイムを読んでこの言葉がふと思い浮かんだ。大学生時代、南米生活後に帰国した小学生のキム君に定冠詞の不規則性を説明していたとき、彼が「外国の友人と会話をするときは定冠詞なんか重要じゃない」とつぶやいたときに出た言葉だ。「試験には出てくるから覚えなさい」と応酬したが、心は萎縮した。純度100%を誇る韓国育ちのためか内心焦った。憤然と奮い立って「家庭教師を下にみているのか」と叫ぶ代わりに例文を変えて説明した。ここで家庭教師を辞めたからといって韓国育ちである事実は変わらず、変わるといえば月収入だけだ。

 
告白ついでに、当時はキム君のような帰国子女が世の中で一番うらやましかった。成文総合英語の構文を暗記しなくても、「th」の有声音と無声音の発音の違いに注意しながら何百回と練習しなくてもいい恩恵を受けた人々ではないかと考えていた。しかし、今なら分かる。自身の意志とは関係なく、言葉も文も別の場所に放り出された彼らもまた大変な苦労したのは自分と一緒だったということを。誰にとっても“タダ”はない。

突然「テニス王子」からキム君のことに話が飛んだのはタイム誌記事の2つの単語のせいだった。「自国を捨てた(domestic abandonment)」、すなわち自国・日本の性向を捨てて米国式で訓練したおかげで錦織選手が日本で過去最高となる世界ランキング5位に入ったことが記事の筋だった。小説家の村上春樹氏や指揮者の小沢征爾氏のような世界的に著名な日本人も同じだとして、自国を捨てることが日本では成功の前提条件であるとまで表現していた。

記事を読んだ後、後味が悪かった。日本だけの話ではなさそうに思えたからだ。知らず知らずのうちに、私たちも「韓国を捨ててこそ韓国で優遇される」と考えているのではないだろうか。知識人として優遇されたいなら留学経歴はオプションでなく必須で、話す時も英単語を少し混ぜてこそ「すごい」と感じるではないか。自国を捨てた経験がなければ「井の中の蛙」に転落する場合も多い。

その代わり、このように考えてみてはどうだろうか。錦織選手は自国を捨てたのでなく自国を土台にして他国の長所を吸収して自分を大きくしていったのだと。いくら捨てようとしても韓国人が韓国を捨てることはできない。パリやニューヨークで活動した画家キム・ファンギ氏(1913~74)の言葉、「私は東洋人で、韓国人だ。私がいくら飛躍して変貌しても私以上のことはできない。(中略)世界的になるなら最も民族的であらねばならないのではないだろうか」。

チョン・スジン政治国際部門記者

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