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火葬場から戦犯の遺骨持ち出し12年隠して廟を造成(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.15 12:28
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7人の“英雄”を移葬するのに成功した日本の右翼勢力は決してこれを騒がしく知らせなかった。78年10月に靖国神社が彼ら7人に獄死した7人を加えた14人のA級戦犯を合祀し外交問題に飛び火した時もここは静かだった。一部右翼のインターネットメディアにだけ少しずつ知らされ、一部地方紙に関連行事が紹介されただけだった。彼らは密かに自分たちだけで法事を行う一方、墓地を永久化するため2010年には「殉国七士奉賛会」という社団法人まで設立した。この過程で右翼勢力を束ねる「日本会義」の多大な後援があったという。奉賛会関係者は14日、「日本会議の会員らが中心となり奉賛会に加入し、物質的・精神的支援を多く受けている」と話した。

◇A級戦犯が書いた「戦犯称賛」の碑文も

 
右翼の聖地になったここにはA級戦犯を英雄に持ち上げ戦争を美化する檄文もあちこちで目についた。

「殉国七士廟」のすぐ横の碑には同じようにA級戦犯だった大島浩元駐独大使の詩が彫られていた。「妖雲獄を鎖して朔風腥し 昨夜三更七星殞つ 暴戻の復讐太古に還る 冤を雪ぎ何れの日か 忠霊を靖んぜん」。また、「後の代に正しき歴史書かるべき その日を待ちて静かに眠る」(京都八坂神社松平静宮司)などの碑文があった。

「殉国七士廟」は日本の敗戦日である8月15日に大規模に人が集まる靖国神社とは違う。昭和天皇の誕生日であり日本人が「日本独立の日」とするサンフランシスコ講和条約公表日である4月29日がここの宴の日だ。偶然の一致なのか、この日のころに靖国を毎年参拝する麻生太郎副首相の思考構造と一致する。この日になると「殉国七士廟」には全国から各種右翼団体会員数百人が駆けつけるという。




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