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【コラム】3月の慰安婦おばあさんと尹東柱、彼らの言葉(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.27 10:09
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「言語は存在の家」だという。自分が使う言葉や文章は、すなわち自分の思惟の水準を表しているということだ。理論的には誰もが知っている事実ではないだろうか。本当に力が強い言葉は真実を明らかにする正しい言葉、相手に共感するあたたかい言葉だ。そういう言葉が真に美しい言葉だ。詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)が星を数えながら1つずつ思い出していたものがどれほど美しい単語だったか。思い出、愛、寂しさ、東京、詩、そしてオモニ(お母さん)オモニ…母国語で文章を書くことさえ容易ではなかった日帝強占期時代。その闇の中でも詩人が決して忘れず何度も諳んじたのは、それほどまでに美しく愛おしい言葉だった。

今年もまた3月1日がやってくる。今も十分な補償や慰労も受けられないまま、空しくこの世を去っていっているおばあさんたちのことを考える。おばあさんたちが最後まで守ろうとしたもの、最後まで記憶して大切にしようとしていたものについて思いを巡らしてみる。爪の先に残っていたホウセンカの花のように、ノさんが最後まで忘れなかった故郷の思い出といくつかの母国語をもう一度思い出してみる。

 
もし私が今まで当然のように理解して使ってきた言葉がもう使えなくなったとしたら、ある日ある事情によって一言ずつ全て忘れてしまうことになったとしたら、私の心の中に最後の最後まで残っているものは何だろうか。私が最後まで忘れないで声を出して言える単語は何だろうか。その記憶は最も美しいものであってほしい。正しくて美しくて強い、そういう言葉であってほしい。

コ・ソンヒ/放送作家・ソウル芸大教授


【コラム】3月の慰安婦おばあさんと尹東柱、彼らの言葉(1)

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