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【社説】光化門のフランシスコが残していったもの

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.19 17:12
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光化門(クァンファムン)のフランシスコ法王は、私たちの時代の精神的なロックスターにふさわしかった。すべての差を跳び越えて、せっかく1カ所に集まった100万人近いこの国の民が、心を一つにして「ビバ・パパ(法王万歳)」を叫んだ。目がしらが熱くなり、胸にこみ上げる貴重な瞬間が8月の広場を感動の聖地にした。振り返ると法王がこの国に滞在した4泊5日は全てそうだった。何か特別なお言葉があったわけでもない。韓国の話は私たちのほうがよく知っていたのは当然だ。注目を引きつけるような奇抜なジェスチャーもなかった。誰でも日常的にする行動であり、挨拶であった。それでも法王が口を開けば福音となった。法王の手ぶりひとつに涙が流れた。「フランシスコ効果」で説明するには、私たちの内側の何かが大きく誤っているのではないかと見回すしかない。

法王は韓国を離れながら南と北の兄弟愛を強調した。7回ではなく77回までも許せと要請した。訪韓最後の日に明洞聖堂で、隣人の宗教指導者らと会っては互いに認めて兄弟のように共に歩いていこうと求めた。亡くなったキム・スファン枢機卿はすでに1980年代にこのようにおっしゃった。「夜が明けて皆さんが外を眺めた時、通りすぎる人々が皆兄弟に見えれば、初めて新しい日が訪れるのだ」。

 
法王はまたアジア青年大会の閉幕ミサで、絶叫して助けを懇願する人々を押しやるなと注文した。青瓦台(チョンワデ、大統領府)迎賓館の演説では、韓国の民主主義が強化され続けることを希望した。故チ・ハクスン主教は70年代に獄中メッセージで「和解は真実との和解であってこそであり、専制に携わってきた強者が抑圧にやつれた弱者に先に求めてはならない」と語った。法王が主教団会議で指定した記憶を守ることと希望を守ることを、私たちはすでにそばに置いていたのに悟ることができなかった間に他人の目と口を借りることで自らを振り返る状況に達したのだ。

甲午年の今年1年、私たちが最も多く挙げた単語の1つは、真正性だ。概して「真正性」と書かれるこの言葉を「真情性」に変えてみれば、私たちが法王の一挙手一投足になぜそのように熱狂したのか思い当たるふしを発見することになる。談論の真実と実効性は外しておくとしよう。感情の屈曲さえ一致しない指導者の言葉と行動の前で、国民は凄惨な欠乏を胸に抱えてやきもきしてきたのだ。真情性の政治を待って、疲れて憤慨したこの国民が、感情の驚くべき一致を全身で繰り広げる法王に熱狂したのは当然のことだ。

大切な客人が離れていき、そろそろ浮き立って喜んで準備した祝宴をおひらきにしなければならない時だ。何をするのかは、法王が私たちに投げかけたお言葉の山の中にはない。少しの間だけでも広場で実現した共同の善との同感と和解の「真情性」を記憶しながら、どのようにしてその美しい感情を拡散させるか、深く考える仕事が残った。通りすぎる人々が皆兄弟に見える時まで「フランシスコ効果」が長く続くことを。

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