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<インタビュー>李源宗元青瓦台政務首席秘書官(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.05.28 15:20
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金泳三(キム・ヨンサム)政権の「実力者」「副大統領」と呼ばれた李源宗(イ・ウォンジョン)元青瓦台(チョンワデ、大統領府)政務首席秘書官が最近、『国民が作った大韓民国』という本を出した。これまでの憲政史を解剖した生きた政治教科書だ。現実政治家としての豊かな経験と学問的な鋭い分析が調和する。在野運動を含めて24年を政治現場で、その後15年を政治学者として生きてきた人生の軌跡がそのまま溶け込んでいる。

李氏は大韓民国の政治史を「国民中心論」で要約した。李氏は「政治家や官僚は自分が優秀だったから今日の大韓民国があると錯覚する」とし「偉大な国になったのは、時代精神を読み取る賢明さ、危機の中で光を放つ共同体意識で武装した国民の卓越した力のため」と強調した。また「国民に自分たちは優秀な民族だという自信を持ってほしいという思いがあり、政治指導者には国民を離れて良い政治は出てこないということを悟ってほしかった」と本を書いた背景を説明した。インタビューは25日、中央日報社で行われた。

 
--本のサブタイトルが「優秀な国民、愚かな政治指導者」だ。

「1948年に開国した大韓民国は米国から民主主義を学びながら実践した。最初の選挙だった1948年の5・10総選挙当時、文盲率は75%だった。自分の手で指導者を選ぶという考えがない国民だったが、わずか12年で基本権が侵害されたとして4・19(四月革命)を起こした。これは人類の歴史上、非常に大きな事件だと考える。世界にこのような国、このような国民はない。我々の国民が偉大だと考える理由だ」

--歴代の選挙を分析し、大韓民国を選挙と抗争の歴史と定義した。

「国民が重要な時に選挙と抵抗を通じて重要な役割をしてきたと考える。『李承晩(イ・スンマン)パラドックス』とも呼ばれるが、李承晩大統領は自由党を作り、国民を強制的に動員して大統領になった。これが国民に民主主義の意識を植え付け、その結果、4・19が起きて退くことになった。朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領は共和党を作って完ぺきに大統領選挙の準備(63年)をし、野党候補に尹ボ善(ユン・ボソン)など7人も出てきたが、2位との票差が15万票にしかならなかった。5・16クーデターは国民が承認した選挙と見ることができないということだ。87年の大統領選挙では当然、民主化するべきだったが、クーデターの主役の一人である盧泰愚(ノ・テウ)が当選した。30年以上の歳月を軍事権威主義的な統治下で過ごしながら、正当性を離れて安定感を感じてきた国民が、両金(=金泳三・金大中)を見て不安を感じたからだった。しかし第13代総選挙で少数与党・多数野党を作り、盧大統領が好き勝手にできないようにした。国民が卓越した選択をしたのだ」

--そのような力と躍動性はどこから生まれるのか。

「王朝時代、民は国から完ぺきには保護されず、収奪の対象だった。生活環境が厳しいため、国をそれほど信頼できず、自分が生きる道を探し、長い歴史の中で自活力が形成されたとみる。同じDNAを持つが、北のように過度に統制すれば、そのような力は十分に発揮されない。自律的な意思決定権が与えられた環境で力が最大化して表れているといえる」

李氏は韓国国民の気質を「国民中心論」で説明している。国民の特性を▼抵抗を通じて自由を体化して順応し▼恨は興の根源に、興は発展の動力となり▼危機の状況で光を放つ共同体意識が強く▼変化を受け入れるものの創造的発展に昇華させる--と説明した。

--国民を動かす原動力は恨なのか。

「1907年の国債報償運動は大邱(テグ)の女性たちが始めた。最近のように交通・通信手段は発達していなかったが、三・一独立運動には人口3000万人のうち1000万人が参加した。国際通貨基金(IMF)事態当時の金集め運動も国民が自発的に参加した。国家危機に能動的に参加しようという意志があるのだ」


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    2015.05.28 15:20
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    李源宗(イ・ウォンジョン)元青瓦台政務首席秘書官は「政治家がビジョンを提示し、国民が理解するよう疎通しなければいけない」とし「困難を訴えて一緒に克服するのが政治」と強調した。
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