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「溜息をつかないで、陽射しやそよ風はえこひいきしない」…『くじけないで』の柴田トヨさん死去(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.01.21 15:03
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1911年に栃木の裕福な家庭の一人娘として生まれた柴田さんは10代の時、家業が傾き、奉公に出ることになった。 その後、伝統旅館と料理店で雑用をしながら、20歳代で離婚を経験した。 そして33歳で生涯を一緒にする料理人の夫に出会い、一人の息子が生まれた。 文を書く仕事とは無縁だった92歳の柴田さんに詩作を勧めたのは息子の健一さん(67)だった。 健一さんは高齢のために趣味の日本舞踊ができなくなった母親を支えた。

母親の才能を知った息子は詩を新聞社に投稿し、柴田さんは6000倍の競争率の中、産経新聞1面「朝の詩」コーナーに採用された。 詩を習ったことも書いたこともなかったが、率直で純粋な柴田さんの詩は読者の胸に響いた。 柴田さんは葬儀費として残していた100万円で『くじけないで』を自費出版した。 100歳を迎えた昨年は2作目の詩集『百歳』と写真集も出した。

 
国内外から取材要請が相次ぐと、母親の健康を心配した健一さんは「もう詩作は止めてもいいからね」と体調を心配した。 これに対し柴田さんは「私が“くじけないで”と言っておきながら、止めるわけにはいかない」と述べ、最後まで筆を置かなかった。

2年前に東日本大地震が発生した時は入浴中だった。 宇都宮市では当時、震度6の地震が発生した。 当時、家具が散乱する自宅でテレビを通じて被害地域の状況を見ていたという柴田さんは「涙を流して手を合わせるしかできなかった」と語った。

「もうすぐ百歳になる私/天国に行く日も/近いでしょう/その時は 陽射しとなり/そよ風になって/皆様を応援します」(「被災者の皆様に」)。 柴田さんが被災地にエールを送ったこの詩のポスターは、災害地域の避難所や学校に掲示された。


「溜息をつかないで、陽射しやそよ風はえこひいきしない」…『くじけないで』の柴田トヨさん死去(1)

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