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「文大統領が盧元大統領と違う点は傾聴」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.05.13 12:17
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宋基寅(ソン・ギイン)神父
11日、慶尚南道密陽(ミリャン)の三浪津邑(サムナンジンウプ)。村会館の後ろの韓屋(司祭館)には盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領と文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「精神的支柱」と呼んだ宋基寅(ソン・ギイン)神父(79)がいる。文大統領夫妻が9日と11日に電話で感謝のあいさつをしたほど親しい。釜山(プサン)が故郷の宋氏は2005年12月、司牧を引退してここに移った。記者が入った時、宋氏は椅子に座って青瓦台(チョンワデ、大統領府)の人事を発表するテレビニュースを見ていた。インタビュー中、ニュースを見ながら話をした。

--文大統領の当選は予想していたか。

 
「今回の選挙はろうそく集会がしたことだ。ろうそく集会が誘発し、ろうそく集会を支持したのが文候補だった。なると思っていた」

--感慨深いはずだ。

「ようやくまともに仕事ができる人が(大統領)席に座ることになったと思う」

--2人の大統領とはいつから縁があるのか。

「文大統領は開業するのに資金がまったくなく、事務室を開けなかった。ちょうど盧武鉉(ノ・ムヒョン)弁護士が開業をしていて、一緒に仕事を始めることになった。1982年に弁護士の事務室で2人に初めて会った」

宋氏は82年、釜山米国文化院放火事件の容疑者の弁論を盧元大統領に任せた。

--文大統領の家族との縁は。

「母親(カン・ハノク氏、90)が私がいた聖堂(影島区新仙聖堂)の熱心な信者だった」

宋基寅氏は文大統領との縁について「とても多い」と語った。そして「ずっと見てきた文在寅はもともと権力への欲がない人だ。私が政治をするように言い続けてきたが、内心、少し申し訳ない。しかし『朴槿恵(パク・クネ)氏があまりにも政治ができないので私でもしようと思う』といって突然すると言い出した」と伝えた。

--盧元大統領と文大統領の共通点と違いは。

「2人とも非常に正義感が強い。しかし盧元大統領は自分が何かを決めれば他人の言うことは聞かないでおこうとする。一方、文大統領は自分の考えがあっても、ひとまず他人の意見を尊重して聞くことができる」

宋氏は文大統領の家族がスキンスキューバが好きだったという話もした。近くの海によく行き、文大統領が銛で魚を捕まえたという。

--盧武鉉政権の功過は。

「自分の権力を部署に分けたこと。それは盧武鉉大統領以前まで誰も想像ができなかったことだ。文大統領もそうするようだ。過の部分は朴淵次(パク・ヨンチャ)会長のお金を他の人を通じて受けたことだが…。私は青瓦台に行く前に3つのことをよく守れば小言を言いに行かないと伝えていた。お金を集めるな、保安法の改革しろ、家族を特別監獄に閉じ込めろというものだった」

--文大統領はどうか。

「文大統領は弟と妹の2人がいるが、船長の弟はずっと以前からそれぞれ別に暮らしているのでそのような心配はなく、妹も母親の世話をしながら暮らしていて、家族にそのようなことはないだろう」

--本格的な国政運営に入ったが。

「文大統領の国政運営方向は私の考えと同じだ。非常に長い間、一緒に戦い、相談し、討論したので、これ以上話すことは一つもない」

--うまくできると思うか。

「最善を尽くして民主主義を、国格を回復させるだろう。韓国人であることを誇りに思うというレベルにまで引き上げることができる人物だ。THAAD(高高度防衛ミサイル)問題も、平壌(ピョンヤン)からソウル攻撃すれば金泉(キムチョン)からTHAADを撃っても防げない。米国の専門家も防止できないと話している。戦時作戦権も転換しなければいけない。旧日本軍慰安婦問題もそうだ。文大統領は経済的な損失があっても国の主権を守り国格を高めるはずだ」

--就任直後の動きが格別だ。

「我々の歴史でこれほどの大統領を迎えるのは、遅かったとはいえ幸運だと考える。ろうそく集会のために当選しただけに、燃え尽きるまで努力して暗い世の中を明るくするだろう」

◆宋基寅(ソン・ギイン)神父

釜山(プサン)民主化運動を率いた。1972年に司祭になり、天主教正義具現全国司祭団に参加し、て反独裁闘争をした。盧武鉉政権当時には真実と和解のための過去史整理委員会の初代委員長を務めた。

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