帰ってきた“国宝1号”崇礼門、615年前の姿を取り戻す(1)=韓国

帰ってきた“国宝1号”崇礼門、615年前の姿を取り戻す(1)=韓国

2013年04月30日10時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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「国宝1号」崇礼門(スンレムン、南大門)の「懸板(扁額)」。
  私は「国宝1号」崇礼門(スンレムン、南大門)の「懸板(扁額)」だ。5年前の火魔で生き残った。落ちて転がって割れながら、610年を一緒に過ごした私の体が燃えるのを目の当たりにした。朝鮮の地を襲った多くの災難と戦争の中でも、ソウルの中心をしっかりと守ってきた私たちだ。崇礼門が無惨に焼けた5年3カ月前の悪夢、あたかも昨日のようにはっきりと記憶に残っている。

  ようやく復元作業が終わった。私は現在、白い布で覆われ、再び会うソウルの風景を想像している。来月4日に開かれる「崇礼門復旧記念式」でだ。その間、多くの人々が崇礼門の前を通り過ぎながら私を見上げた。その度に私は人々の心に残った傷を拭う日を待ち望んだ。

  ◇どう変わった?=復元された崇礼門は多くの人々にとってやや見慣れない姿かもしれない。火災前の姿とはかなり違うからだ。崇礼門は太祖7年(1398年)に誕生したが、世宗30年(1448年)、成宗10年(1479年)に大手術を受けた。韓国戦争(1950-53年)当時に銃弾で損傷し、60年代初期にまた解体修理過程を経験した。

  今回の復旧は朝鮮初期創建当時の原形を取り戻す道だった。276億7000万ウォン(約24億円)の予算がかかり、延べ3万5000人が参加した。歴代最大規模の文化財の復元だ。使われた木は25トントラック28台分、石は15トントラック236台分だ。史料などを参考にし、その間に変形して作られた部分を積極的に修正した。60年代の工事で短くなった屋根の棟は長くなり、1階の隅棟の装飾も朝鮮末期の写真資料に基づき8個から7個に減った。また明るい丹青ではなく、本来の落ち着いた色感を取り戻した。

  何よりも日帝強制支配期に切り取られた両腕、石壁が戻った。漢陽を囲んで威容を誇った城郭が無惨に取り壊された瞬間の屈辱は今でも忘れることができない。東に53メートル、西に16メートルしか取り戻せなかったが、それでも感謝している。昔の活気あふれる都城の風景を想像する契機になることを望むかぎりだ。

帰ってきた“国宝1号”崇礼門、615年前の姿を取り戻す(2)=韓国
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