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韓国海運の歴史「韓進海運」、誕生から没落まで

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.31 08:25
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韓進海運の歴史は韓国海運業の歴史だ。

国内1位・世界7位の海運会社の韓進海運は1977年に故趙重勲(チョ・ジュンフン)韓進グループ創業者が国内初のコンテナ専用船会社として設立した。当時、航空会社業を軌道に乗せた趙重勲氏は朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領の勧めで海運業に参入した。趙重勲氏は輸送報国の創業精神で陸・海・空総合物流企業を目指した。

 
韓進海運は78年に中東航路、79年に北米西岸航路を開設し、グローバル海運会社に成長した。88年には大韓船洲を合併し、規模を拡大した。49年に政府が設立した大韓海運公社が大韓船洲の前身だったため、韓進海運はフラッグキャリアという名誉も得た。その後、韓進海運は順調に成長した。92年に売上高1兆ウォンを超え、95年に巨洋海運、97年に独セネターラインズを買収し、欧州・中国などに領域を広げた。96年には国内で初めて5300TEU(1TEU=20フィートコンテナ1本)級コンテナ船を就航させた。2003年には中国コスコ、台湾陽明、日本Kラインなどと同盟を結成し、グローバルコンテナ船社としてその地位を固めた。

2002年に趙重勲氏が死去した後、グループが系列分離し、韓進海運は三男の趙秀鎬(チョ・スホ)会長が引き受けることになった。しかし3年後に趙会長が持病で死去し、暗雲が漂った。夫人の崔恩瑛(チェ・ウンヨン)前会長が経営の一線に出てきたが、世界海運業が長期沈滞に入り、2008年のグローバル金融危機で流動性危機が深刻になった。

2013年に2423億ウォンの営業損失を出すなど3年連続の赤字で危機を迎えると、2014年に趙亮鎬(チョ・ヤンホ)韓進グループ会長が救援に動いた。趙亮鎬会長は2年間に1兆2000億ウォンを投入したが、海運業不況の長期化と好況期に借りた高い用船料、雪だるま式に増えた船舶金融費用などでまた座礁の危機に直面した。昨年末847%(連結基準)だった負債比率は今年6月には1076%に上昇した。4月に趙亮鎬会長は経営権を放棄し、債権団に自律協約を申請した。

海運業界は韓進海運の没落の原因に流動化する資産が不足した点を挙げている。現代証券の売却で新規資金支援なく流動性を確保した現代商船とは違い、2009年以降の韓進海運は「金になる資産」をすべて売却し、流動性の確保が難しかった。負債の中で船舶金融比率が過度に高く、高い用船料の負担が加速したのも没落の原因になった。

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