【コラム】我々を見る外国人の視線に敏感な理由=韓国(1)

【コラム】我々を見る外国人の視線に敏感な理由=韓国(1)

2017年10月02日15時25分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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  感受性は人によって異なる。敏感な人は自分とは完全に違う人や異質な集団または異郷万里で起こっている事件でも、自分が体験しているような感情や傷のようなものを感じ取る。しかしそうでない人は家族ほどの枠を越えれば「他人事」として済ませ、自分のことばかり考える。

  筆者が使っている「他者感受性」という言葉は、言い換えれば「共感の強度」程度になるだろう。あえて「他者感受性」と表現するのは、我々には「共感」という言葉があまりにも常套語になってしまい、そこに重なる偏見と先入観があまりにも多いからだ。よく「共感する」という表現を使うが、その共感の範囲は人ごとに違い、そのような差は共感する行為が時には排他的になることを物語っている。例えば我々はフランスのパリで発生した公演会場爆弾テロ事件に対して大きな関心を向けて哀悼の意を表すが、パリテロ事件の前日に発生したベイルートテロ事件に対してはあまり関心を見せず、記憶もしていない。そのような差が生じるのはパリが我々にそれだけ親密感があり、さらに同一視するほど近づきたいと思うところである半面、ベイルートはそうでないからだ。すなわち、人ごとに共感する範囲はこのように異なり、そのためにあることに対する共感は別のことに対する疎外を引き起こすこともあるということだ。

  ◆韓国に暮らす外国人が友人を招待して旅行

  我々には外国人という他者に対する感受性もこのような差を見せる。もちろん外国人の視線を気にし始めたのは開発時代からであり、88ソウルオリンピックを開催してさらに強まった。世界の人々の関心を集めることになりながら、我々が持つ自負心は我々ではなく外国人の称賛と賛辞から生じている。大衆文化の中でこのような点はマーケティングとして活用されたりもした。カンヌ映画祭やベルリン映画祭のような世界的な映画祭で受賞をした作品は、退屈な内容であっても観客が列を作った。もちろんこうしたマーケティングはすぐに効果が弱まった。外国人の視線にこだわるその現象自体を批判的に受け止めながらだ。

  しかしそうであっても我々が外国人の視線を気にしなくなったという意味ではない。最近、大衆文化では外国人が新たにその主人公として登場している。MBC every1の番組『ようこそ韓国は初めてだよね?』はこの外国人の視線を主要観点として前面に出し、驚くような記録を作った。MBC every1放送史上最高の視聴率となり、その主役のダニエル・リンデマンと彼のドイツの友達に対する反応はほとんど熱血ファン水準だった。韓国で暮らしているダニエルが故郷の友達を韓国に招待して旅行をするというシンプルなコンセプトだが、ここに登場した外国人の視線は我々が看過していた我々の風景や文化を改めて感じさせる。(中央SUNDAY第551号)

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