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百済義慈王時代の漆塗り鎧、「世界遺産百済」特別展で初公開

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.29 14:42
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展示場の入り口に古代の水道施設が再現された。忠清南道扶余(チュンチョンナムド・プヨ)の官北里(クァンブンニ)遺跡で見つかったものだ。官北里一帯は百済最後の都城である泗ビ(サビ)の王宮跡地と推定される所だ。1982年、この地域で瓦を組み立てて作った長さ40センチの導水管が発見された。百済人は山から流れてくる水を溜めて生活用水として使った。扶余の東西南北に広がる道路の左右両側にも下水道施設があった。百済の都市計画の高い水準を見せている。

2011年公州公山城(コンジュ・コンサンソン)のソンアン村で漆塗りの鎧と馬かぶと・馬鎧が初めて出土した。公山城は百済が熊津(ウンジン)に首都を決めた当時の熊津城とされる場所だ。漆塗り鎧には赤い文字で「貞観十九年」と刻まれている。「貞観」は中国唐太宗の年号だ。貞観十九年は645年、百済が滅亡する15年前を指す。百済最後の義慈王が唐に使節を送り交流していた時期だ。韓国国立中央博物館のキム・ジンギョン学芸員は「鎧の上に1目メートルを越えるわらを積み上げておいたが、これは戦争の勝利を祈る儀礼とみられる」とし、「今回、漆塗り鎧を一般に初めて公開する」と話した。

百済は「倹而不陋華而不侈」の文化を作った。「質素だがみずぼらしくなく、華やかだが贅沢でない」という意味だ。金富軾の『三国史記』に登場する言葉で、『私の文化遺産踏査記』の兪弘濬(ユ・ホンジュン)教授が広く知らせたものだ。北東アジア文化交流の中心地だった百済の真の価値を垣間見ることができる「世界遺産百済」特別展が29日から来年1月30日まで国立中央博物館で開かれる。昨年7月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区を見学できる展示だ。漢城(ハンソン)百済(紀元前18~475)以降の熊津期(475~538)と泗ビ期(538~660)を代表する都城・寺刹・陵墓から出土した文化財350点など合計1720点が展示されている。

 
ハイライトは、舎利荘厳具(舎利を入れた容器と供養物)だ。「寺刹と仏塔の国」として知られている百済王室は、仏教の積極的な後援者だった。扶余王興寺(プヨ・ワンフンサ)跡、益山弥勒寺(イクサン・ミルクサ)跡・王宮里(ワングンニ)遺跡から出土した舎利荘厳具は発願した人や時期、目的などが記録されている。百済仏教文化の花とも呼ばれている。

今回の特別展は百済文化を一目でみられる百貨店のように構成されている。官庁・工房・台所・庭園・厠・墓遺物などを広く紹介している。韓国国内で最も古い鴟尾(瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾り)である王興寺跡の鴟尾と71年に発見された公州武烈王陵遺物も見どころだ。

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