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【時視各角】ロッテ総括会長の固執が自ら招いた「兄弟の乱」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.04 15:19
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サムスンの経営継承には2つの隠れた原則がある。一つは後継者に株式を集めることだ。他の子どもの持ち株をすべて合わせても決して後継者の持ち株を超えない。骨肉の争いに備えた予防注射だ。もう一つは絶対に後継者と同じ飛行機には乗らないということだ。万一の事故でグループ支配構造が壊滅するのを避けるためだ。李秉チョル(イ・ビョンチョル)先代会長は1970年代末から李健熙(イ・ゴンヒ)会長とは別の飛行機に乗った。李健熙会長と李在鎔(イ・ジェヨン)副会長も15年前からそうしている。李秉チョル先代会長と李健熙会長は70歳を過ぎてから娘たちを近づけたが、経営権は揺れることなく継承された。

ロッテの辛格浩(シン・ギョクホ、重光武雄)総括会長はこれとは正反対に進んだ。息子の辛東主(シン・ドンジュ、重光宏之)前日本ロッテ副会長(61)と辛東彬(シン・ドンビン、重光昭夫)韓国ロッテ会長にほぼ等しく株式を配分した。辛格浩と辛東主が同じチャーター機に乗って玄海灘を行き来したのもサムスンでは考えにくい。ロッテの政策本部と財務チームは辛格浩が75歳だった96年から「韓日ロッテの分離」を建議したという。その度に辛格浩は「分かった。報告書だけ置いて行け」と言って怒りを表した。「皇帝経営」の下で継承作業はタブーだった。

辛格浩は会社を分けて譲るという考えが最初からなかった。ずっと「私の経営哲学はワングローバルロッテ(One Global Lotte)」「経営が優れたワントップに譲る」と述べた。韓国ロッテの株式を辛東彬に13%与えれば、辛東主には12%を与えた。逆に日本ロッテは辛東主に13%、辛東彬には12%を譲るという形だった。シーソーゲームを通じて息子を完全に統制し、競争させたのだ。辛格浩がテコとしたのが光潤社とロッテホールディングスの自社株。支配構造の最高峰にあるこの両社の持ち株構造はベールに包まれている。辛格浩は口癖のように自社株を前に出し「従業員の手で後継者を選択させる」と述べてきた。

 
辛格浩の望みとは違い、ロッテの骨肉の争いは行き着くところまで行った。辛東主は父を背に文書→音声→映像と暴露の程度を高め、言論プレーに出た。一家の親族も内心は辛東主の経営権掌握を望む表情だ。韓国ロッテで握るパイが大きくなるからだ。一部の親族は役員に「辛東主体制に協力しろ」と圧力を加えたという。一方、辛東彬は韓日取締役陣を掌握して固めようとしている。すでに双方の専門経営者の支持誓約まで確保したという話もある。辛東彬は取締役会を通さなかった父の口頭指示や解任書類は法的効力がないとし、反撃に出た。母の重光初子と自社株の支援の下、日本ロッテホールディングスの票対決にも自信があるという立場だ。


【時視各角】ロッテ総括会長の固執が自ら招いた「兄弟の乱」(2)

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