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【噴水台】玉浦海戦の李舜臣、青山里戦闘の金佐鎮、その2人の立派な出会い=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.14 13:12
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13日、巨済の大宇造船海洋玉浦造船所で大韓民国海軍の1800トン級潜水艦「金佐鎮(キム・ジャジン)」の進水式が開かれ、朴槿恵(パク・クネ)大統領も出席した。8月・玉浦・金佐鎮など、さまざまな象徴が同時に感じられる。時期からして68周年光復節を2日後に控えた日だ。玉浦は、壬辰倭乱(文禄の役)開戦翌月の1592年6月7日、李舜臣(イ・スンシン)提督率いる朝鮮水軍が初めて倭軍を退けた玉浦海戦の舞台だ。東海(トンヘ、日本名・日本海)をはじめとする韓国の海を守る潜水艦として復活した金佐鎮将軍(1889-1929)は、現代史で欠かせない武装独立闘争の英雄だ。1920年に満州・吉林であった青山里戦闘で独立軍を指揮し、日本軍を破った。

資料を調べてみると、当時、武器が不足した独立軍はロシア極東ウラジオストクに到着したチェコ軍団から銃と弾薬を入手し、戦力を整えたという。チェコ軍団は、第1次世界大戦当時にオーストリア・ハンガリー軍に徴集され、ロシアの捕虜になったチェコ人で形成された部隊だ。彼らはドイツとオーストリア・ハンガリーを相手に戦い、祖国の独立をつかもうとした。しかし1917年、ロシア革命で混乱が生じ、武装列車に乗ってシベリアを横切り、ウラジオストクから船に乗って西欧戦線に行こうとしていた。地球をほぼ半周し、戦争が終わった1919年にウラジオストクに到着した約6万7700人のチェコ人はここで私たちの独立軍と会ったはずだ。国を失った悲しみをよく知っていたため、近づいてきた独立軍に武器を売ったようだ。2011年には駐韓チェコ大使が当時の資料をソウルで展示したりもした。

 
しかし独立という大義の前でも「無料」はなかったようだ。帰国したチェコ人が新生祖国チェコスロバキアに持ち帰った遺物の中に韓国の銀のかんざしや金の指輪があったのを見ると。この内容を発見した時、急に涙が浮かんだ。銀のかんざしと金の指輪を快く独立軍の軍資金として出した名前も知られていない女性が頭に浮かんだからだ。青山里戦闘はこのように平凡な女性から指導者まで多くの人たちが心と力を合わせて成し遂げた共同体の勝利だったのだ。

「金佐鎮」が進水したその日午前、ソウル駐韓日本大使館の向かい側にある慰安婦少女像の前で開かれた慰安婦被害者イ・ヨンニョさんの出棺の写真を感情がこみ上げてきた。87歳でで亡くなった女性が少女像ほどの年齢で経験した受難を考えたからだ。国を守れなければ国民がどんな苦難を受けるかを語る一日だった。現在の中学3年生から大学入試で韓国史が必須科目になるという。生徒が青山里戦闘、従軍慰安婦を学ぶことになり、幸いに思う。国史を修学能力試験の必須科目にした理由はさらに明確になっている。前日、日本首相は戦争を禁止した平和憲法を改めると声を高めた。熱い8月だ。

チェ・インテク論説委員

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